ディベート小噺:Japan Womxn's Nationals 2023を運営した話

 最後にブログを更新してから1年半以上が経過し、時の流れの速さと自分の自堕落さに渇いた笑いが出ています。おまけに大会を運営したのも1ヶ月以上前ですから、この時点で既に圧倒的出オチ感がすごい。

 

 久しぶりに仕事以外で文字を書きたくなったので、リハビリ兼備忘録兼とりとめのない思考の置き場としてこの記事を書いています。需要があるとは思っていませんが、こんな調子でだばだば〜っと書くだけの記事なのでご容赦ください。

 

 以下目次です。

 

1.自分にとっての「うまんず」的な話

 今回自分がTDとして開催した大会名は"Japan Womxn's Nationals"でしたが、コミュニティ内では「うまんず」という愛称で呼ばれているのでこの記事でも以降は「うまんず」と呼称します。関係ないけどひらがなで「うまんず」って書くと柔らかなかわいさがあって好きです。

 

 うまんず、「やるぞ〜!」と宣言をしたのは確か4月の春Tだったと思いますが、(やるか……!)と一人で勝手に決意したのはもう少し前だったと思います。多分年明けくらい。

 大きな目的としては「ディベート界における非シス男性のエンパワメント」ですが、開催するぞ!という決め手になったのは「ディベート界への小さな恩返し」「自分自身がうまんずという大会が好きだから」という極めて個人的な感情の揺れ動きによるところが大きかったと思ってます。

 

 特に2点目の「うまんずが好きだから」がめちゃくちゃ大きかったです。

 自分が「うまんず」というコンセプトの大会に初めて出会ったのは2014年(9年前だって、怖いね)だったと思いますが、当時はAoyama Woman's Cup(通称AWC)という大会名でした。

 ちなむとそれより以前はJapan Woman's Debating Championship(JWDC)という大会名でしたし、一口に「うまんず」と言っても、時代の流れで大会名や主催団体が色々と変遷していたりします。

 

 以下「うまんず」の大会遍歴です(認識齟齬があったら許して)

 2012,2013:Japan Women's Debating Championship (主催:有志)

 2014〜2016:Aoyama Women's Cup (主催:青山学院大学)

 2017:Women's Nationals (主催:有志)

 2018〜2021:Aoyama Women's Cup (主催:青山学院大学)

 2022:開催なし

 2023:Japan Womxn's Nationals (主催:有志)

 

 こんな感じで、その時々で様々な人が(きっと様々な思いで)リレーのバトンのように受け継いできたのが「うまんず」という大会だと思っていて、そんな側面がある大会だからこそ昨年度開催されなかったのがとても寂しかったし、もし今年も開催されなかったら今後"なぁなぁ"で開催されなくなってしまうんじゃないか……という思いがちょっぴりありました。

 2014年以降はほぼ毎年(後輩の応援やEquity Officer、当日コミといった)何かしらの形で関わらせていただいた大会ですし、数ある大会の中でも特に思い入れの強い大会だったので余計に。

 

 大会のクロージングセレモニーでも言いましたが、これは別に誰かを責めたいわけでも、どこかの大学やコミュニティを後ろ指さして批判したいわけではありません。特にコロナ禍で毀損された各大学の人的リソースは極めて大きいと思っていますし、むしろコロナ禍という稀に見る災厄の中でも"オンライン化"の道へ舵を切り、あの手この手で大会を実現させていた当時の皆様には頭が上がりません。

 自分は現役時代に「中小大学」の横のつながりに助けられたし、そうした「共助」

に救われてきた人間なので、今回「えいや!」で大会を開いてなんだかんだでよかったな〜〜〜と思っています。

 

 こうやって書くといい人ぶってる感があってあまり好きじゃないのでバランスを取ることにしますが、やっぱり最後の決め手は「俺がうまんず好きだからうまんず開催するぜ!!」という極めて個人的な理由なので、言ってしまえば壮大な自己満足です。こういうところが自分の子供っぽいところだなぁと苦笑してしまいます。原動力がいつまで経っても「衝動」すぎる。

 

 それはそれとして、どうやら自分は2017年のJapan BPでTDを務めた際に「ちょうど10回目の正規コミなのでこれで運営は引退しま〜〜〜〜〜す!!!!!」などと偉そうにFacebookに長文ポストをしていたようです。図々しく運営として戻ってきてしまった事実があまりにも恥ずかしいですが、やっぱり「SNSで堂々と引退宣言をする人間は引退しないんだなぁ」と身をもって痛感しました。悔しい。

 

 あと"いい感じ"に締めようとしているのがむず痒かったのでちゃんと触れておくと、数年ぶりのオフライン大会運営は無事キャパがパンクし、あらゆる方面への気遣いが不足し当日は色々な人に助けられました。遅延させてすみませんでした。

 

2.ディベート界にとっての「うまんず」の話

 これもクロージングセレモニーで大体話しましたが、日本のディベート界にはまだまだ「うまんず」が必要だと思っています。

 誰かを批判するお説教ではない、というのは当たり前の前提ですが、構造的な問題としての「偏り」というのは厳然と存在するし、1年生大会の時の男女比率がそのまま推移していかないのは"個人"という単位では片付けられない課題があると思っています。

 

 などと書くと思想の強さがまろび出ていますが、ディベート界がどんどん発展していくことを心の底から願っていますし、その邪魔にならない形でひっそりと支えていけたら……と思っています。

 

 次年度以降も「うまんず」が開かれたら嬉しいですし、こんな老兵が力になれることがあれば喜んで馬車馬になろうと思います。

 

3.これからの「うまんず」の話

 

 「うまんず」はその時々の「思い」を色濃く反映し、ブラッシュアップする形でどんどんと進化してきた大会です。

 生まれたてのベイビーだった頃は参加対象が「女性」だったのが「非シス男性」に裾野を広げ、「ジェンダーを中心とする論題」「他の大会と同じような論題選定」になり、今後もどんどん進化・発展していくのだろうと思っています。

(再三になりますが、進化する前が「悪い」と言っているわけではありません。その当時の運営の方々はその時にできる最大限を発揮していたと思っていますし、後に続く人達がその「思い」を受け継いで変革させていったと思っています)

 

 これからの「うまんず」がもっと良いものになることを願い、以下の提案を残しておこうと思います。

(さも自分が思いついたように語っていますが、大会後のアンケートで参加者からいただいた意見をだばだば〜と書き連ねているだけです)

 

 

・大会名を「Womxn's and Gender Minorities」的な名称にする

 これは「うまんず」という大会がその対象を「女性」から「非シス男性」へ広げたことに端を発していると思っているのですが、すでに"Womxn"という単語だけではカバーしきれないほどその対象は広くなっっていると認識しています。

 

 もちろん"Womxn"という単語は、"man"に対する批判の文脈で生まれた言葉であり、自分は"x"に様々な思いを込めていたりするのですが、口語表現としては「うまんず」になるわけで、そうなるとより広汎な言葉、大会名が好ましい気がしてくるわけです。

 

 別に上記のような大会名にすることが必須というわけでも、上記のようにしなかったからといって烈火の如く猛り狂い、そこかしこに火を点けるみたいな野蛮ムーブはしませんが、「より多くの概念を包摂する大会名」がこれからの時代には適しているのではないか、と思っています。

 

(ちなみに自分が今回"Womxn"という単語を用いたのは、フェミニズム的な意味での家父長制批判を大会名に込めたかったというのと、数式で"未知の数"を示す"x"を使うとかっこいいじゃん〜〜〜という厨二的な想いに由来しています。イーロン・マスクへの憧れは微塵もありません)

 

・GF chairを非シス男性にする

 これもアンケートを見た時にハッとなったんですが、GF chairってその後のCVとして色濃く残るものだし、国際大会でIAやACに立候補する時にも重要な指標になるよな〜〜〜〜というディベート10年目の遅すぎる気づきです。

 

 はよ気づけと言われたら「ほんますみません」となるのですが、日本というコンテクストで「うまんず」を開く性質上どうしてもジャッジはシス男性が多くなってしまうので、そういった状況下でも(非シス男性のエンパワメント、という大会理念をジャッジに対しても適用できるような)試みが必要だよな、と思わされました。

 

・ACを(可能な限り)非シス男性で揃える

 難しいよ〜〜〜という魂の叫びは置いておいて、それでもなるたけ実現できると理想的ですよね。

 今回ACを務めてくださった御三方はどなたも本当に素晴らしい方々でめちゃくちゃ助けられたのでそこに対する不平不満ではなく、「大会として目指すべき姿」は別の次元で存在するよな、と。

 例えば公募制を導入してみるとか他薦を認めることで運営以外の視点を取り入れるようにするとか、いろんな方向から人材を発掘する試み自体はあってもいいよねと思います。

 

 上記全部ができたら本当に素晴らしいと思いますが、一方で理想と現実のギャップというのは確実に存在していますし、リソース上の限界というのもあります。必ずしも思い描いた通りにいかないこともあると思いますし、そこが大会運営の難しさでもあり楽しさでもあると思っています。

 

 自分はもう社会人になって随分経っており、コミュニティの中心からはとっくに離れてしまった人間です。

 そんな人間がやいやい言うのはある意味「老害ムーブ」だなと自覚しつつも、まぁ言うだけならタダなのでこうして思考の置き場として書き連ねているわけです。

 

 

 久しぶりに文字を書いたらあまりの語彙力の低下と筆の進まなさに愕然としたので、もう少しちゃんと活字に触れる生活を送ろうと思います。

 あともう少しブログの更新頻度を上げられるように頑張ろうと思います。いいネタがあったら教えてちょ。

 

 

 というわけで、またどこかで。 

 

ディベート小噺:ねこちゃんぴおんしっぷにアイアンで出場した時の思考法の話

 ども、けろです。

 季節は冬真っ只中。北海道出身の自分でもビビるくらい寒い日があったり、関東でも雪が降ったりしてるのは複雑な感情になります。冬は四季の中で一番好きなんですが、地元と違って家の中が寒かったり慣れない雪で交通インフラが死ぬのはシンプルに殺意が湧くので。

 

 まぁあと2ヶ月もすれば春がやってくるわけで、春といえばAsianシーズンです。ちょうど2〜3月はBPスタイルとAsianスタイルの転換期であり、つい先日もBPのねこちゃんぴおんしっぷの次の日にAsian Bridgeがありました。しかも参加者リスト見たらねこちゃんに出てた人がAsian Bridgeにも出ていたりして、「マジで??」となりました。冷静に考えなくても脳みその使い方が全然違うBPとAsianを2日間でハシゴしてるの、体力も適応力もバケモンすぎる。

 

 と思ったんですが、僕もAsian Bridgeの前日のねこちゃんぴおんしっぷにアイアンで特攻するというコロコロコミックの主人公のようなムーブをしていたので人のことは言えないことに気づきました。

 アイアンで参加することのしんどさとかに関しては前回のブログで取り上げたので、今回はほんのちょっとだけ生産的な内容、「アイアンで大会に出場した時にどんな風に思考していたのか」について少しだけ記事を書きます。

 

 とはいえ現在(というかそもそものディベートという競技性において)の国内大会でアイアン参加を前提にしているものは皆無なので、冷静に考えて「アイアンの思考法を伝授しても意味なくね?」という感じではあるんですが、「自分に高い負荷をかけてプレパをする時のやり方」くらいに置き換えてもらえれば僅かながらに汎用性はある気もします。

 

 普段のプレパよりちょっとだけ重たい練習をしたい人、練習でアイアンをすることが時折ある人、あるいはシンプルに僕の思考の一端を覗きたい人(そんな奴おるか?)、そんな人向けの記事です。

 

 というわけで以下目次です。基本的に論題が発表されてからプレパが終了するまでを一つの流れとして書いているので、その前提で読んでもらえるとスムーズかなと。

 

1.対立軸を徹底的に洗い出す

 

 まず論題が発表されてから僕が真っ先にやったことは、細かいケースや具体的な話は考えず、ひたすら「その論題において想定される対立軸を洗い出す作業」でした。

 とはいえこの作業は通常のパートナーとのプレパでも必要な作業であり、これがアイアン特有なのかと言われると厳密には違うと思いますが、あえて違いを挙げるのであればその「濃度」でしょうか。

 アイアンで恐ろしいのは、「勝ち負けの全てが自分の肩に乗っている」ということです。考え、アウトプットし、話す、その全ての作業が自分一人で完結し、誰も助けてくれないという孤独な15分を過ごさざるを得ません。

 

 その中で最も怖いのは、「対立軸・クラッシュを選び間違えた瞬間に全てが終わる」という点です。デカすぎる地雷。

 これはパートナーとのプレパであればある程度練り上げた状態でキャッチボールを開始し、その過程で軌道修正することができます。もちろん人によってはそのやり方に差異はあると思いますが、仮に対立軸がぼんやりしている状態でもチーム内のコミュニケーションによってその像を徐々に明確にすることが可能です。

 

 アイアンはそれができない、つまり「他人の知恵や視点を以ってして自分の思考の軌道修正を行えない」ので、とにかくこの作業に一番の時間を割いたといっても過言ではありません。多分最初の4分くらいはこの作業に脳のリソースの7割くらいを使ってました。

 

a)マクロな対立軸:これは何が対立する論題なのか

 

 まずは所謂マクロな対立軸の洗い出しです。

 ねこちゃんの論題を例に出すと、R1のTHW ban cosmetic products and servicesであれば、「政府による介入vs個人の選択の自由」「コスメ用品・サービスに起因する社会的な問題vs個人の便益」のように、ある程度トレードオフになることが推定され、かつ論題の中心になるであろう対立軸を(使えるかどうかは別にして)とりあえず書き殴りました。

 

 これをやっておくことで、「この論題は何が言えるのか」という自サイド視点の思考ではなく、「この論題において言わなければいけないことは何か」という客観的視点での思考を忘れずに済みました。具体的には「そもそも政府が個人の選択に介入しちゃいけない理由って何だっけ?」という、この手の論題においては当たり前の話をOOの最後の方で話したことがR1の勝ちに繋がったのかなと思っています。

 

b)ミクロな対立軸:govとoppで取り合いになる争点は何か

 

 マクロな対立軸の洗い出しが終わったら、と言いたいところですが、実のところ上記のマクロの対立を考えている最中に、ほぼ同時進行でこの作業、ミクロの対立軸の洗い出しを始めていました。とはいえマクロな対立軸の方が個人的な優先順位としては高いので、脳のリソースの割き方としてはマクロ:ミクロ=7:3くらいの割合です。

 

 脳の並列思考って何だよボケナスと石が飛んできそうなので具体化しておくと、僕はよく"連鎖的に思考を繋げる"ようにプレパをしています。

 例えば上記の「政府の介入vs個人の選択」の対立軸を考えている最中に、「てことは多分、cosmetic products/serviceがcoersionを引き起こしているのかどうかを証明することになるな」と思考を紐付け、そこからさらに連鎖的に「あ〜、となるとgovは"コスメユーザーの多くが強制されている"って話をするから、oppはcontextをきっちり話さないと負けるな」みたいに繋げていきます。要は一人でミラクルバナナをやってると思ってください。虚しいですね。

 

 そうしていくと幸か不幸か、マクロな対立軸を整理し終わった段階で大凡のミクロな対立軸の整理も終わっています。

 上記の論題を例に考えると、

・「コスメ用品が売られているコンテクストはどんなものなのか」

・「コスメユーザーは何を考えてコスメを使っているのか」

・「じゃあこれが無くなったら人々の意思決定はどんな方向に動くのか」

 等の視点です。

 

 これらはマクロな視点とは別の階層である、ディベートの進行に伴ってに奪い合いになる争点って何だろうね?」という視点の話です。前者がメタ的な視点であるとするなら、より当事者に近づいた思考と言えるかもしれませんね。知らんけど。

 

 これを同時進行でやっていくのはもしかしたら思考に衝動性のある人の方が向いてるかもしれません。僕は上司やバイト先の社員が何かを話している時にも話そっちのけで脳内連想ゲームをしてしまうような多動性・衝動性がある人間なので、参考にならなかったらごめんちょ。

 

 ちなみにコツとしては、プレパ用紙の空きスペースをとにかく縦横無尽・カオスに使いまくってください。思いついた思考を書き殴り、別の思考が脳をよぎったらそれがどこかにいく前にとりあえず書き留めておくと、プレパ用紙はカオスになりますが思考はアウトプットできます。

 

2.自分達のケースに従ってひたすらアクター・現象を分析する

 

 対立軸の整理が終わったらあとはひたすら「詰め」の作業です。型はできており、向かう先も分かっているのであとはそこに向けてエンジンを回していきます。

 

a)水平思考:「ある帰結」を導くために必要な諸要素の羅列

 

 これはもうディベート思考におけるテンプレになっているのであまり深くは触れませんが、ディベーターがよく言う"〇〇 reasons here"とか"▲▲ mechanisms we have"とかいうやつです。

 R1の論題に関して言うなら、「容姿の自己決定は大事である」という主張を補強するための具体的な理由づけです。僕は「birth lotteryじゃん」「日によって気分は変わるしその都度理想の自分は変わるじゃん」みたいな話をしました。

 

 あとはコンテクストの分析には

・「メディアによる多様な発信」

・「SNSでの個々人の発信」

・「コスメ業界の市場心理」

 みたいな話を並列に考えてました。要はキャラクターを色々挙げてみようね、という当たり前の話です。

 

b)垂直思考:一つ一つの要素をきちんと深める

 

 上の水平思考とほぼ同時に、思いついた話を深めていきます。それがどのように大事なのか、具体的な例はあるのか、その話をすることで自分/相手の話はどう変化するのかなど、ただ「大事なの!!!!だからジャッジは取れ!!!ヴォ"イ”!!!!!」みたいなシャウトで終わらせないように気をつけていました。多分。

 

 あと、この垂直思考をしていく過程で「あれ、やっぱりこの話ってexclusiveにならんから使えんワ」みたいになったらその時点で容赦無く切り捨てます。例えを出したかったんですけど僕は切り捨てた思考の断片はマジで粉微塵に忘れてしまうタイプの人間なので許してください。

 

 で、理想はこのaとbを同じ進行度合いでやれるとベストかなと思っています。

 水平的な洗い出しをし終えてから一つ一つの要素を深めたり、一つの要素を深めきってから別の要素を考えたりすると意外に時間がなくなってしまったりするので、前述の「思考の衝動性」を上手く操りながら、脳みそを並列に使ってとにかくスピーチ原稿を埋めていきましょう。

 

 その上で大事だなと思ったのが「とにかく紙を大胆に使う」です。

 これは色んな人が言っていますが、スピーチ原稿を作る上で見た目の美しさやコンパクトさはそんなに重要じゃないと思っています(もちろんスピーチする自分がちゃんと体系的に話せるのであれば、の前提はありますが)。

 書いた後で「やっぱ違ェな」って思ったら横線でガシガシ消して、その下に書き直せばいいので、そういう紙の使い方をしていると、必然的にシャーペンよりボールペンをよく使うようになります。いやシャーペンでもいいと思うんですけど、消しゴム使って消す手間がなくなるので結果的にボールペンを多用するってだけの話ですが。

 

3.各スピーカー用に意識的に「思考の階層」を作る

 

 ここまでで大凡プレパ時間の半分〜10分くらいを使っています。ただその間に思いついた話や「あ〜これスピーチに落とし込めるな」って思った話は随時原稿に書いているので、原稿が真っ白というわけではありません。完成度的には5〜6割くらいといった感じ。

 この時点で既に大分脳のキャパシティを使っているんですが、ぶっちゃけ一番キツいのがここからです。特にオープニングは残り数分でラウンドが始まるのでマジで時間との戦いです。クロージングにはクロージングのしんどさがありましたが。エクステンションの考え方は需要があればそのうち記事します。

 

a)立論は早めに大枠を固め、考えながらアウトプットしていく

 

 立論、とりわけファーストの話は上記の時間内である程度の大枠を決めています。ぼんやりと「こんな感じの話になるな」という方向性を定めて、アウトライン・骨組みを大凡決めておきます。

 そこから先は「考える」「書き出す」作業を同時に進めていきます。

 

 『呪術廻戦』に登場する伏黒恵は初めて領域展開を使用した際「具体的なアウトラインは後回し。呪力を練ったそばから押し出していけ」という台詞を口にしていますが、僕の場合は「アウトラインだけ決めておいて、あとは考えたそばから押し出していく」といった塩梅でした。呪術読んでない人がいたらすみません。

 

 これは別にアイアンに限った話ではなく、短いプレパ時間を効率的に使う練習にも使えるテクだと思います。考えてから原稿を進めるのではなく、考えながら原稿を書いていく作業です。

 

b)立論の過程であぶれた断片を思考の水面付近に集めておく

 

  その思考の過程で、僕の場合必ずと言っていいほど「ノイズ」が生まれます。前述の思考の衝動性を抑え込んでいない場合は特に、です。

 この「ノイズ」というのは、要は「あ〜ああいう話もできるな」とか「こういうexample足せるなぁ」とか「相手がこういう話をしてきたらこんな反論しようかな」みたいな、『チームにおいては必要だけれど、少なくとも今の自分のスピーチには組み込めないな』という「思考の断片達」のことです。間違っても今日の晩御飯の献立とかじゃないです。

 

 これを自分のスピーチに組み込んでもいいんですが、無理にそれをやるとスピーチが崩壊したりタイマネが死ぬ可能性がある場合は組み込まずに放置します。

 ただ、放置しっぱなしだと勿体ないし普通に忘れてしまうので、これまた別の紙に書き殴ったりメモ書きに残しておいたりします。

 で、自分の原稿作りに脳のリソースの8割を割きながら、この「ノイズ」に対しても1〜2割のリソースを向けています。完全に忘れるのではなく、頭の端っこの方に残しておくといったイメージです。この作業が後々セカンドをやる時に活きてきます。というより僕の場合無理でにもこれをやっておかないとセカンドの原稿を作る時間がなくなって死にます。

 

 例えばR1の論題では、「cosmetic products & servicesは個人の自己実現にとって重要」というケースを考えている最中に(あ〜、多分セカンドの比較で個人の意思決定の話をすることになるな)という思考を脳の端っこに残しておいて、そこから「メディアによる発信の内容」「個人がアクセスするコンテンツの中身」をセカンドの原稿に箇条書きにしておきました。

 

c)異なるexample、反論の型を無理矢理にでも形にする 

 

 前回の記事でも書きましたが、特にファーストとセカンドで投げる反論には細心の注意を払いました。

 僕はどちらかといえばファーストタイプの思考をしてしまう人間なので、意識せずにいるとついいつもの癖で反論を考えてしまいます。するとどうなるかというと、セカンドでファーストと同じ反論をしてしまったり、even ifケースに対応した反論が思いつかなかったりします。そうなると話が広がらないしジャッジからの心象も悪くなってしまうので、ほぼ強引に思考を階層化しました。

 ファーストで投げた反論には大きく印をつけ、セカンドではなるべく触れないように気をつけながら異なる型の反論を打つように思考を回していく作業です。

 

 ファーストで"not true""not exclusive"の反論を打ったなら、セカンドでは"even if""rather good"を打つように考えたりしていました。結構苦しいししんどいですが、普段の自分が考えているように考えてしまうと結局普段の自分通りのパフォーマンスしか発揮できなくなってしまうので、ここに関しては自分をギリギリまで追い込む作業でした。一番気が狂うかと思った。

 

 この点はラウンド中の話も含んでいますが、プレパ中にもこの階層化は役に立ちます。色々な方向性からケースを考えていくと、話が膨らんでファースト一人では処理しきれなくなるので、そうなったらその話は切り離してセカンドに投げたりできるからです。反論を予め用意しすぎると想定外の話に対応できなくなるリスクがあるので一概に良しとは言えませんが、入口くらいは作っておくといいかもしれませんね。

 

 これらを15分でぶん回していくのは脳みそがグツグツに沸騰する作業ですが、僕がヒーヒー言いながらやっていたこれらの作業をソツなくこなしてしまう人がいるのもまた事実で、つくづく自分の未熟さを思い知らされます。

 

 

 普段は意識せずにやっている自分の思考回路を当日のフローやプレパ容姿を振り返りながら書いてみましたが、果たして需要があるのかは謎です。

 実際は当日の緊張やラウンド部屋への移動時間もあってここまで綺麗にこなせませんでしたが、オンライン環境であればもう少し時間を有効活用できるかな、と思います。

 

 

 恐らくアイアンで大会に出る人はそう多くないとは思いますが、自分に負荷をかけ続けると間違いなく上達すると思います(少なくとも僕は、リハビリの一環で参加した練習でアイアンをやったことは自分の思考力の向上に寄与したと感じています)。

 自分のキャパをちょっとだけ超えるくらいの塩梅の負荷をかけた練習、一度やってみるのもアリな気がします。用法容量は守ってくださいね。

 

 

 

 あーよく書いた。

 

 それでは。

ディベート小噺:2年ぶりのオフライン大会、ねこちゃんぴおんしっぷに参加した話

 ども、けろです。

 どうも、というよりもお久しぶりです、という言葉の方が似合うこのブログ、ついに記事更新を放置して1年が経過していました。明日書こう、明日書こうと思っていたらこんなことになっていました(チュートリアル徳井)。

 

 書くネタがなかったわけでは断じてなく、シンプルに時間がなかったり気づいたら旬を逃していたりと色々な理由があるわけですが、まぁそれら全て言い訳なので鼻で笑ってください。

 

 1年ぶりのブログ更新は、つい先日2年ぶりにオフラインで開催されたねこちゃんぴおんしっぷ、通称ねこちゃんという大会への参加してきた感想記事です。

 コロナ禍が始まったのが2020年の春先だったので、ちょうどこの春で丸2年になるわけですが、ちょうどその時期からディベートの大会環境も国内外問わずオンライン化し、zoomやdiscord、mixidea等プラットフォームの違いはあれど最近の大会=オンラインというのが当たり前でした。

 これは誰が悪いという話ではなく、シンプルにコロナ禍という情勢や、大学が施設を貸してくれないという外的な理由等本当に色々な不可抗力的な事情が起因しているのだと思います。

 

 そんな中2年ぶりに開催されたオフライン大会。僕はもうウッキウキでした。それはもう楽しみで夜しか眠れませんでした。

 

 というわけで前置きが長くなってしまいましたがやっていきます。

 ちなみに予め言っておきますが、本記事には僕の感想以外に得られるものはありません。各ラウンドでどのサイドでどんな話をしたとか、こういう論題ではこういう話ができるよねとか、その手の生産的な話は一切ないので、その手を話を期待した人はここでブラウザバック推奨です。

 

 一応先に結果を書いておくと、4位でブレイクして準優勝でした。個人9位でした。ちなみにアイアンで参加しました。以上。

 

1.オフライン大会クッッッソ楽しい

 

 まず当たり前かつ最大の感想ですが、本当に楽しかったですディベート大会の目的というのは当然ディベートをすることであり、そこにオフラインとオンラインの差というのは存在しません。スピーチをする場所が聴衆の前になるかパソコンの前になるかの違いくらいしかなく、「競技」の観点で言えば個人的に大きな差はないと思っています。

 

 ただ、それでもオフライン大会はその「オフライン性」ゆえに最高に楽しい機会を提供してくれると思っています。

 

kerokero0441.hatenablog.com

 

 いつぞやの記事でも書きましたが、オフライン大会にもオンライン大会にも、どちらにも利点や欠点があり、一概にどちらが優れているという結論を出すことはできませんし、僕にもできません。ただ僕は(どちらも大会も好きという好意的な感情を持っているのは前提としつつ)、オフライン大会の方が「好き」です。これは僕個人の好き嫌いの話なのであまりに気にしないでもらって大丈夫です。

 

1-1.ラウンド間・ラウンド終わりの談笑

 

 各ラウンド部屋での試合が終わり、部屋の外で対戦相手やパートナーと話す束の間の時間。直前のラウンドで何が話せたか、今何点持っているのか、大会全体の難易度はどうかなど、特にとりとめのない話に花を咲かせる時間、僕は本当に好きです。と同時に、この時間が当たり前じゃない世代もいるんだなということに驚かされました。

 言ってしまえばコロナ以前と以後の世代間分断ということだとは思うんですが、僕たちコロナ以前の世代が「懐かしい」と思うことが、コロナ以後の世代にとっては「初めて」だったりするので、その違いが楽しかったですね。

 

 ラウンドとラウンドの間にはORでみんなでワイワイ会話を楽しみながら結果に一喜一憂したり、対面だからこそできる会話のキャッチボールを楽しんだり。何が一番懐かしいって、「みんなの顔を見ながら会話ができる」ところですね。目の前に生身の人間がいるというのは、やっぱり代替が難しい喜びだよなと思います。

 

1-2.昼食タイム

 

 今回の大会は国立オリンピック記念青少年総合センター、通称オリセンで開催され、昼食はそこの食堂でした。

 ラウンドの緊張感から解放され、古い友人やラウンドで対戦した人たちとご飯を食べながら交わす会話も、やっぱりオフラインならではだよなぁ〜〜〜と。

 オンラインだと自宅で一人ご飯を食べたり、仮にパートナーとオフラインでプレパできても2〜3人という少人数だったりするのでその規模感の違いはやっぱり肌で感じました。もちろんご時世的に黙食が推奨されているのであまり大きな声での会話はいけませんが。

 

2.オリセンが懐かしい

 

 前述の通り今回の大会会場はオリセンだったわけですが、恐らくこの会場は2020年以前に大学に入学されたディベーターには馴染み深い施設ではないでしょうか。

 JPDUの春セミナーや夏セミナーなどの大きな催しの際には宿泊施設を併設しているこのオリセンを借り、レセプションホールで交流会をしたこともありました。懐かしいですね。

 まぁこの春セミや夏セミも、直近ではオリセンを使うことが減ったりもしていたのでもしかしたら現役生の中でもオリセン経験者というのは少なくなっているのかもしれませんが、何せ学部入学が2013年の僕からしたらめちゃくちゃ懐かしい場所なわけです。

 

 小田急線の参宮橋駅からオリセンへの行き方も、ORとして使用される部屋への行き方も、びっくりするくらい体が覚えているんですよね。食堂の場所もラウンド部屋の場所も、およそ3〜4年ぶりの来訪とは思えないほど鮮明な記憶が蘇ってきて、勝手に懐古厨になっていました。

 そう考えるともう長いことICUにも行けてないし、青学や東工大にも行ってないですね。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが。

 

3.アイアン参加はクッッソ大変

 

 さて、当の大会参加ですが、なんと僕はアイアンとしての参加でした。

 パートナーが諸事情により参加できなくなってしまい、アイアンとしての参加が決定したのが前日の夜。個人的にはこの時点で大会頑張るぞ!の気持ちが高まっていたのでアイアンでも参加が認められたのは不幸中の幸いというか、むしろありがたいなと思っていました。コミの皆さんの対応に大感謝です。

 

 とはいえアイアンでの大会参加、想像している5倍は大変だったので忘れないうちに書き記しておきます。皆さんもアイアンで参加することがあるかは分かりませんがくれぐれもご自愛ください。

 

3-1.酸欠になる

 

 これはアイアン参加というよりもマスク着用という側面が大きい気もしますが、シンプルに1ラウンドで14分スピーチをするとマジで肺が酸素を欲します

 1分間に喋れる情報量はマスクを着けても着けなくても変わらないので呼気の量は一定なのに、マスクによって吸気量が著しく制限されているので本当に酸素が足りない。スピーチ終わりには肺の真ん中あたりが苦しさを訴えてくるのはもちろん、スピーチ中も時折息切れで深呼吸が必須でした。マジで苦しい。

 大会が始まる前はウッキウキで「アイアンでブレイク目指すぞ〜!いっぱい喋るのお得な気分!」とか余裕をぶっこいてたわけですが、精神的な余裕以前に肉体が悲鳴をあげるとは思ってもみませんでした。1Rが終わった時点で「え、これが最低でもあと2回あるってマジ?」と恐怖してました。

 

3-2.喉が死ぬ

 

 結果的にブレイクしてGFに進出することができたので計4ラウンドスピーチをしたわけですが、冷静に考えて7分×4ラウンド×2回分で56分の英語スピーチを1日でするのはマジで喉が終わります。POIの時間も含めるとほぼ1時間ですね。狂ってやがる。

 もちろんぶっ通しで1時間喋っていたわけではないんですが、それでも喉を普段とは違う使い方で酷使したのでまぁ当然といえば当然です。

 

3-3.脳が疲弊する

 

 とは言っても酸欠や喉の死はそこまで大きな負担というわけでもなく、一番笑ってしまったのは脳の疲弊が尋常じゃなくデカいことです。

 1日に3〜4ラウンドを消化する大会の性質上、もちろん1日の終わりになると疲れて当たり前なんですが、なんというか疲労の「深さ」が段違いなんですよね。

 

 プレパで2人分の出力をこなしたこともそうですが、一番は「求められる役割の異なる2つのスピーカーを意識的に分担すること」だったなと。

 PMとDPMでは役割や求められていることが異なるし、話す内容も変わってきます。それはチーム内だけで完結する内容ではなく、対戦相手のスピーチに対しても柔軟に対応しなければいけないということです。

 オープニングであればファーストは「自チームのケースをきちんと建てきること」が求められ、セカンドは「前の話を踏まえた上でオープニング間で比較軸を建てること」が要求されます。

 その上で相手に投げる反論も、種類や性質を変える必要があったりするのでそれを意識的に切り替える作業が笑っちゃうくらいの負荷でした。

 

 というのも、やっぱり同じ人間の脳みそで考えている以上、どうしても思いつく反論の種類や方向性、使うexampleの傾向というのは似てくるんですよ。それをそのままファーストとセカンド両方で使ってしまうと、どうしてもセカンドの反論は「ファーストで言っていたことの繰り返し」と評価されてしまいあまり勝ちに繋がりません。

 となると、プレパの時点から「意識的」に反論を階層化して分割し、比較軸を作る際にはなるべく新しいexampleを盛り込めるように思考を回したりする必要があるので、この作業がとにかく重たかったですね。

 

 とはいえこの作業を大会でできる機会というのはそうそうないのでめちゃくちゃ貴重な体験でしたし、むしろ気持ちの良い負荷の掛け方だなと感じていたので嫌とかそういうネガティブな感情は一切抱きませんでした。当然ですが欠場してしまったパートナーに対する否定的な感情も一切ありません。

 

 ここら辺の思考の使い方の差異については、もし希望とかがあればゆるりと記事にして書いていこうとは思います。多分生産的な内容にはならないと思いますが。

 

4.ディベート界への思い的な

 

 今回のねこちゃんは有志の方が尽力してくださり、オフライン大会に至りました。その心労や大変さには頭が上がりませんし、コミ・ACの皆さんには何度ありがとうと言っても足りません。

 

 昨年には一度感染が落ち着いてきたコロナ禍も、オミクロン株の流行により再びどうなるかわからない状況になってしまいました。データ上は弱毒化しており、風邪に良く似た症状が多く見られることからそこまで危惧する感染症なのかは懐疑的ではありますが、世論的にはまだ封じ込めの意見も一定の影響力があるようで、今後の政府の方針もどうなるのやら、といった感じです。

 

 ディベートの大会に関してもその影響を受けやすく、今回のねこちゃんはオフライン開催だった一方、その他多くの大会はオンラインで開催せざるを得ない状況です。もちろんオンライン大会には多くのメリットがあるので一概にオンラインが常態化した環境を悪いと言う意図はありませんが、今回初めてオフライン大会を経験した方々は、どうか今回感じた「楽しさ」を忘れないでほしいなと思います。それはきっとかけがえのないものだと思うし、何かの時に背中を押してくれると思うので。

 

 以前のようにオフライン環境が当たり前になるにはまだ少し時間がかかると思いますが、その時にまた皆さんに会えることを僕は楽しみにしていますし、まだ当分はディベート界の端っこでスマブラをしようと思います。

 

 今回初めてお会いできたTwitter民の方も、久しぶりに顔を合わせて話ができた方も、お体に気をつけてまた次のオフライン大会でお会いしましょう

 

 

 それでは。

 

漫画とかの趣味ブログを併設した話

 ども、けろです。

 

 タイトルの通り、いい加減ディベートブログで漫画の考察とかを垂れ流すの、どの層にもウケないことを学んだというか、セルフブランディング的にも層ごとに分けようと思って、好きな漫画とかの考察や感想、妄想の類を垂れ流す集積所を作りました。

 

 以前このブログでぶん投げた考察記事もそっちのブログに転載しようと思います(こっちの記事も消しませんが)。

 

kero-entame-channel.hatenablog.com

 

 

 と、そんなどうでもいい話。

 それでは。

【考察】術式から考える、天元様の異質性【呪術廻戦】

 ども、けろです。

 このブログの立ち位置が「ディベートブログ」ではなく「ディベーターが書くブログ」になっていることに気づきました。まぁそれも一興ですね。

 冷静に考えるとこのブログで書いてる記事がディベートジェンダー、漫画考察何ですが守備範囲が意味わからないことになってますね。一体どの層にアプローチしたいのか謎ですが、別に収益化してるわけでもないし、ブロガーになるつもりも毛頭ないのでこんな感じでゆるく独り言を発信していきます。

 

 そんなわけでせっかくの連続更新なのにまたニッチな内容、漫画考察です。

 前回のブログが「呪術廻戦における天元と御三家の関係」だったのですが、その中で天元の術式についてさらっと触れたので今回はその深掘りです。

 

kerokero0441.hatenablog.com

 

 というわけで以下目次です。

 0.はじめに

 1.天元様の術式概要

 2.作中設定との乖離

 3.余談

 4.結論

 

0.はじめに

 まず前提となる仮説を提示し、記事の書き出しとします。

 

 仮説:天元の正体は呪物化した人間、あるいは特定の縛りによって抑留された人間である

 

1.天元様の術式概要

 まず天元の術式、設定について作中で明らかになっていることについて書き出します。

 

 ・不死の術式を持っている

 ・不老の術式ではなく、一定の老化を終えると術式が肉体を創り変えようとする

 ・そうなった場合"より高次の存在"となり、意思が消滅する

 ・天元は国内主要結界、補助監督の結界術の底上げに寄与している

 ・「星漿体」という適合者の人間を取り込むことで肉体の情報を書き換え、術式効果を振り出しに戻す(リセットする)

 

 恐らく本編で明らかになっているのはこの辺りでしょうか。

 単行本でいうと8巻の第66話「懐玉-弍-」にて開示された情報になります。

 この「術式効果を振り出しにする」を五条悟は「成程、メタルグレイモンになる分にはいいけどスカルグレイモンになると困る。だからコロモンからやり直すって話ね」と説明していました。めっちゃわかる。

 

2.作中設定との乖離

 これらの設定ですが、実は作中で明らかになっている別の設定と明らかに矛盾しているんです。

 

 根拠①:術式は生得的に肉体に刻まれたものである。

 

 前回の記事でも書きましたが、単行本2巻第12話「邁進」にて五条は「基本的に術式は生まれながら体に刻まれてるものだ」と語っていました。一応"基本的に"と留保されていますが、今のところ例外となるキャラクターは出てきていません。

 例外のように見える吉野順平は、確かに真人によって術式を使えるようになっていましたが、あれも136話で偽夏油が「脳の構造が術師向きでないもの」と言及していました。つまり「元々順平の肉体には術式が刻まれていたが、脳の構造的にそれらに対応していなかった」ということで、これもまた例外ではありません。

 偽夏油の中の人も、夏油傑の呪霊操術が欲しくて彼の肉体を手に入れました。今のところ「術式」を「肉体」から切り離す方法は呪霊操術の極ノ番「うずまき」の副次効果しかありませんし、これも呪霊限定です。

 

 これらの前提となる根拠を元に天元の設定を見てみると、天元の「術式」は「不死」と言及されており、肉体に術式が刻まれていることが分かります。

 しかし、「星漿体を取り込むことで肉体の情報を書き換える」という天元の設定は、この根拠①と矛盾します。

 何故なら星漿体自身は術式を保有していないただの人間(少なくとも作中で登場した天内理子は銃で頭を撃ち抜かれて死亡したため、「不死」ではありません)であるため、この星漿体を取り込んで「肉体の情報を書き換え」た場合、天元本来の肉体に生得的に刻まれた術式は消滅してしまうのではないでしょうか。

 

 そう考えた場合、天元というのは果たして「不死の術式を持った普通の人間」なのでしょうか。

 

 根拠②:術式の能力は一つの術式につき一つである。

 

 そもそも、「不死」というのは天元の「術式」の主効果なのでしょうか。

 というのも、基本的に「術式」というのは一つにつき一つの効果を持つものです。伏黒の「十種影法術」は「影」を操って各種式神を顕現する術式ですし、「赤血操術」は自身の血液を操る術式です。

 五条の「無下限呪術」も、「収束する無限級数」を派生させて中和・引力・斥力を使い分けていますし、「肉体に刻まれた術式」が持つ効果・能力は基本的に一つ、というのはほぼ確定の情報だと思われます。

 天元の肉体を高次の存在へ創り変えるのは彼の「術式」によるものであると作中で言及されていることからも、天元の肉体に刻まれた術式というのは「そういう類」の概念改変系の能力なのだと思われます。

 であるなら、天元の術式が「不死」というのはミスリードなのかなと。そもそも「不死」であるなら単に肉体的に無敵であるとか、事故死病死等のあらゆる死を無効化する概念系の能力のはずですから、「肉体を創り変える」というのは少し「不死」の本筋とズレてきます。

 となると天元の術式というのはもっと別のものであり、「不死」というのはその過程で生まれた副次効果なのではないでしょうか。

 

3.余談

 というよりそもそも「結界術の底上げをする」というのは一体どういうことなのでしょうか。

 作中で明らかになった「結界の強度」を底上げする手法として、術師が結界の外側にいたり、敵に見つかりやすいリスクを犯したり、足し引きの帳尻を合わせたり等が挙げられます。

 そのどれもが「縛り」によって自身・結界そのものにマイナス要素を課すことによって同等のプラス効果を得ているわけで、要するに「ノーリスクで結界を強化することはできない」ということです。

 このルールが普遍のものであるとするなら、天元も例外ではありません。

 まして天元は「国内の主要結界」「補助監督の結界術」双方の底上げというとんでもない補助効果を発揮しています。これが「縛り」によって得られているものだとするなら、その代償は一体どれほど大きいのでしょうか。

 

 例えばこれが、「人間を生きたまま呪物化している」「生命活動の一切を停止させる」等の「縛り」によって帳尻を合わせているのだとしたら、「不死」が副次効果であるという考察とも、「現に干渉しない(≒できない)」という作中設定とも辻褄が合います。

 

 唯一の難点は「500年に一度肉体の情報をリセットする必要がある」でしょうか。ここに関しては本当に情報がないのでなんとも言えません。続報に期待しましょう。

 

4.結論

 ここまでの情報をまとめると、以下のようになります。

 ・天元は、作中設定である「術式は肉体に刻まれる」と矛盾する

 ・「不死」はミスリードであり、天元本来の術式、あるいは「縛り」の副次効果である

 ・「縛り」のルールから、天元は国内の結界術を底上げするにあたって何かしらの制約を課された存在である

 

 少なくとも作中で讃えられている「天元様」という存在は、皆が思っているような守り神的な存在ではなくもっと負の側面が強い存在なのではと個人的には思っています。

 

 

 今回は以上です。

 また何か考察できそうな要素があれば記事にします。

 それでは。

【考察】BLEACHとの相関から見る天元様と御三家の関係性【呪術廻戦】

 ども、けろです。

 巷ではどうやら緊急事態宣言が延長されるみたいですね。ファックファックって言いながら死にたくなりますね(ベルナドット隊長)。

 まぁ個人的には今週号のジャンプの呪術廻戦の展開がやばすぎて全部どうでも良くなりましたが。あんな展開ありですか?情報量と衝撃の大きさがとんでもなさすぎて、今日一日ただでさえ低い労働意欲が地を這う弾丸ライナーでした。今まで少なくない量の漫画を読んできたと思ってましたが、あの展開は多分初めての経験でした。まじでとんでもない。

 

 というわけで、今回はテイストを変えて漫画の考察記事です。誰得かはまじで知りません。前回BTWの考察記事を投げたら、PVがいつもの半分くらいでしたが僕はめげません。

 前回は久保帯人先生のBURN THE WITCHでしたので、今回は芥見下々先生の呪術廻戦をピックアップし、タイトルの通り考察記事を書こうと思います。

 

 以下目次

0.はじめに〜概要、諸知識のおさらい〜

1.BLEACH藍染惣右介、呪術廻戦の夏油傑の相関

2.「霊王」と「天元様」の役割の類似

3.「四大貴族」の咎、「御三家」の謎

4.結論

 

0.はじめに

 まず考察を始めるにあたり、BLEACHと呪術廻戦の各要素を軽くおさらいしておこうと思います。それぞれの世界における造語や概念の紹介です。既読勢の方は飛ばしてもらってかまいせん。

 

a)BLEACH

・霊力:死神や虚、破面の操るエネルギーの総称。身体能力や技の威力等は、これが高ければ高いほど増す。

・三界:現世、虚圏(ウェコムンド)、尸魂界(ソウルソサエティ)の総称。魂は基本的にこの三つの世界を流転する。

・霊王:上記の三界を結び、世界を安定させるために存在する「楔」、死神たちはこれを実在の「王」として崇めている。

・四大貴族:四楓院家、朽木家、綱彌代家、詳細不明の一家を合わせた貴族の総称。かつてはこれに志波家を加えて五大貴族と呼ばれていた。

 

b)呪術廻戦

・呪力:後悔や恥辱、怨嗟や恐怖といった、人間から漏出した負のエネルギー。肉体に刻まれた術式に呪力を流すことで術式が発動したり、肉体を強化したりできる。これが集合認識として折り重なることで呪霊が生まれる。

天元:国内主要結界の要であり、不死の術式を持つとされる存在。

・御三家:五条家、禅院家、加茂家からなる呪術界古参の総称。

 

 おそらくこれくらい説明しておけばここから先の考察がスムーズに読めるかと思います。

 原作未読の方、特に呪術廻戦の方はまだ14巻ですし、現在アニメも放送中ですので追いかけてみてください。確実に今の漫画界でトップクラスに面白いですし、今後も語り継がれる名作なので。

 

 前提として、呪術廻戦はこれまでの有名な少年漫画を下地に作られている、ということも併せて書いておきます。

 例えば主人公虎杖とその周囲の主要キャラクターはNARUTOの生徒3人+先生1人という構図を模していると思われます。虎杖もナルトも体内に化け物を宿していますし、先生が顔の一部(カカシ先生は鼻から下、五条先生は鼻から上)を隠していたり。

 また、作中に登場する「縛り」の概念(自らリスクを負うことで相応のリターンを得ること。例:自分の能力を相手にバラすことで能力が底上げされる)はHUNTER×HUNTERの「制約と誓約」由来ですね。

 声に出して読みたくなる音の響き(例:布留部由良由良八握劍異戒神将魔虎羅)はBLEACHからきていると思いますし、呪術廻戦は良い意味でこれまでの王道少年漫画のエッセンスを取り入れ、一つの作品として昇華させています。

 これを「パクリ」と呼ぶ不逞の輩がいるんですが、そういう人たちはフィクション作品におけるオマージュの概念を知らないようなので無視しましょう。

 

 では本題いきましょう。

 あらかじめ言っておきますがジャンプ本誌の内容にもガッツリ踏み込んでいるのでネタバレ注意です。また、僕は呪術廻戦におけるオマージュに対して全面的に賛同しているので、その前提で読んでください。

 

 仮説:呪術廻戦における天元様は、御三家によって作られた呪術界の罪であり、公益のために贄とされた人間である。

 

1.BLEACH藍染惣右介、呪術廻戦の偽夏油の相関

 根拠①:藍染、偽夏油のそれぞれの目的が類似している。

 そもそも何故天元を考察する上で藍染や偽夏油といったキャラクターを引っ張ってきたのかですが、これはこの2人が作中でかなり重要な立ち位置を担っているからです。この2人を考察の出発点とすることで前述の大仮説の検証ができるのではないかと考えました。

 まず、各作品における各キャラのそれぞれの目的、大義を明らかにしましょう。

 

 藍染惣右介:霊王の殺害。現存の世界の転覆。

 偽夏油:現呪術界の転覆、及び新たな世界の創出。

 

 まず藍染ですが、彼は「霊王」という、世界を安定させるために尸魂界(≒四大貴族)が一人の男を人柱とし、生きた楔にしている事実に落胆し、それを変えようとしていました。霊王を「あんなもの」と呼んでいる(単行本48巻参照)ことからも、霊王(と、その真実を知らずにのうのうと平和を享受している世界そのもの)に対して嫌悪感を抱いていることが分かります。

 その目的のため、彼は「崩玉」という、周囲の者の願いを叶える物質を作り出し、それを元に「破面」を作り出しました。死神と虚という相反する存在の境界線を取り払うことで肉体・霊圧の壁を破壊することで生まれた「死神化した虚」は、後に護廷十三隊と敵対する勢力となります。

 また、彼は同じく崩玉を使役して「死神の虚化」の実験も行っていました。平子真子らがその犠牲者ですね。

 

 ここで覚えておいてほしいのは、藍染惣右介は現行の世界を転覆しようと画策しており、そのために諸勢力と手を組み、既存の枠組みに囚われない新たな存在(破面虚化)を生み出した、ということです。

 

 では、翻って偽夏油です。

 彼の目的は作中でもまだ完全に開示されたわけではありませんが、週刊少年ジャンプ2021年8号に掲載された第136話で彼は「呪力の最適化」を口にしており、「私は呪霊のいない世界も牧歌的な平和も望んじゃいない。非術師、術師、呪霊 、これらは全て"可能性"なんだ。"人間"という"呪力"の形のね」と述べています。

 そして彼はその「人間の可能性」を模索し、作中の時間軸でおよそ100年ほど前にとある人体実験を行いました。それが「呪胎九相図」と呼ばれる、"人間と呪霊の間に生まれた九体の呪物"を生み出すに至ります。

 ただ、この九相図というのは目的ではなくあくまで手段の一つであり、"人間"という、呪力を生み出す存在を新たな形へと導こうとしているわけです。だからこそ現在作中で大盛り上がりを見せている「渋谷事変編」で彼は今の呪術界の固定化したあり方を転覆し、世界に混沌をもたらそうとしています。

 ここで偽夏油の目的をまとめてみましょう。彼は現呪術界を転覆し、人間の新たな形を(既存に縛られない形で)模索している。そのために彼は人間の敵とされる呪霊勢力・呪詛師とも手を組み、これまでの"人間"とは異なる存在を生み出そうとしている、というわけです。

 

 つまり偽夏油も藍染も、既存の世界のあり方に疑問を呈し、それを覆すためにこれまでとは異なる存在を自らの手で生み出したのです。

 

 結論①:呪術廻戦における偽夏油の立ち位置・キャクター像はBLEACH藍染惣右介を下地にしており、その目的・大義は類似している。

 

 ここでこの結論①と、前項の根拠①で述べた藍染の目的を照らし合わせ、逆算的に偽夏油の目的を考えてみましょう。

 藍染は既存の世界を世界たらしめている根幹である霊王を殺害しようとしました。それこそが世界のあり方を変える手段だったからですね。

 彼が取った様々な手段や実験の数々が、霊王の殺害という目的に繋がっていることを踏まえると、そのキャラクターを下地にした偽夏油も同様なのではないでしょうか。

 この、作品間のキャラクターの類似性というメタな視点を以て、逆説的に偽夏油の最終目的を導いてみようと思います。

 

 仮説①:偽夏油は天元様の殺害、ないし天元ありきの現呪術界そのものを変えようとしている。

 

 あくまでのこの仮説が正しいという前提に立って、ここから先の考察、ないし大仮説の考察を進めていきたいと思います。

 

2.「霊王」と「天元様」の役割の相似

 そもそもなぜ天元を殺す必要があるのかですが、ここで前項の仮説①を進める上で、BLEACHにおける「霊王」と呪術廻戦の「天元様」の果たす役割を深掘りしていきます。

 

 根拠②:「霊王」も「天元」も、世界を安定させるための「装置」である。

 

 BLEACHの世界における「霊王」は、表向きは尸魂界(やその他の世界)を束ねる王とされていますが、その実は世界を安定させるための「楔」でした。

 

 霊王存在以前の「世界」は生と死の境界が曖昧で、魂の循環というものが存在していませんでした。これを安定させ、魂の循環・生と死の概念を定着させるための装置として機能しているのが霊王という存在です。霊王が生まれ、世界の中心として機能することで世界は輪郭を手にしたわけです。作中ラスボスのユーハバッハは霊王を殺すことで「死が存在しない世界」を作ろうとしていましたね。この点に関して詳しく知りたい方は小説Can't Fear Your Own Worldを読んでください。

 

 では一方の天元です。これはまだ作中でほとんど語られていないため多くが謎ですが、一応作中でわずかですが言及されています。

 単行本8巻第66話にて当時高校生の夏油が「高専各校、呪術界の拠点となる結界、多くの補助監督の結界術。それら全てが天元様によって強度を底上げしている。あの方の力添えがないと防護や任務の消化すらままならない」と述べています。ここでは彼の発言がミスリードでないという前提に乗りますが、天元様というのは現呪術界にとってなくてはならない存在ということです。

 加えて天元は「不死の術式を持っている」ということが明らかになっています。不死の術式ってなんだよって感じですが、外部からの干渉を受け付けないとか、時間回帰や空間回帰系の能力で肉体の形を常に一定に留めておけるとかなのかなと。ただ不老ではないと明言されているので、どちらかといえば肉体の状態を常に「フラット」に留めおく術式なのかなと考えています。

 ここで大事なのは、霊王も天元も、代替わりするような存在ではなく、一個体で完結するものであり、そのどちらもが今の世界を安定させるための装置としての役割を担っているという点です。

 唯一の違いは、天元は不老ではないため一定以上の老化を終えると術式が肉体を創り変えようとするため、「星漿体」と呼ばれる適合者の肉体を生贄に肉体の情報をリセットする必要があるようです。

 この時点で既に人外の気配がしますが、天元の術式が仮に「不死」そのものであるなら、このような「創り変え」は起こり得ないのではないでしょうか。従って天元の術式は「不死」そのものではなく、別の術式の副次効果として不死が付与されていると考えた方がいいかもしれません。

 また、「肉体の情報をリセットする」というのも妙な話です。というのもこの世界における「術式」というのは突然降って湧いたようなものではなく、あくまで生得的に肉体に刻まれるものだからです(単行本2巻第12話参照)。

 この設定が正しいとするなら、星漿体の肉体を取り込んで肉体の情報を書き換えた時点で元来の肉体に刻まれた術式というのは消えるはずです。現に偽夏油は「呪霊操術(とこの状況が)欲しくてね」と夏油の肉体を乗っ取った理由を述べています。

 この「術式は肉体に宿る」というのが不変の事実であるなら、天元というのは異質な存在であり、「事実に反した存在」ということになります。このことからも、天元というのは一人の人間というよりも、それとはやや異なる装置的な存在だと考えられます。

 ただ、作中で夜蛾学長が「天元様に会ってくる」と述べていることから、概念的な存在や呪物のような無機物ではないのでしょう。

 いずれにせよ、その特性や異質性、役割的側面からも、天元はBLACHにおける霊王とかなり近しいと思われます。

 何故なら霊王同様、天元を殺せば現代呪術界は文字通りひっくり返るわけですし、諸結界や制御・底上げされていた呪力の流れが混沌と化すわけですから。

 

 結論②:天元は霊王同様、世界を安定させるための装置であり、術式を持つという特性上人間かそれに類する存在である。

 

3.「四大貴族」の咎、「御三家」の謎

 ではそれらの類似性から、別の仮説を導いてみようと思います。それは、両者の成り立ちにおける世界の「闇」の側面です。

 

 仮説②:「御三家」は「四大貴族」と対応する一族である。

 

 BLACHにおける四大(五大)貴族は、言わば始祖としての一面がありました。

 彼らはとある「男」を贄とし、世界に永劫縛り付ける形で「霊王」を生み出しました。手足を捥ぎ、内臓を抉り出して結晶の中に封じ、それを大衆には伏せて「王」として祀り上げる。それこそが尸魂界の罪であり、多くの者が知らない世界の闇です。

 四大(五大)貴族はその罪を一身に背負う一族であり、現在の世界を形作る大きな菊花を生み出した者達です。

 

 では呪術廻戦における御三家はどうでしょうか。

 御三家の歴史や成り立ちに関してはまだ謎なところが多いですが、個人的には彼らが「御三家」と呼ばれているのはそれなりの理由があると思っています。

 というのも「御三家」という言葉の意味には、有力・有名・人気な三者という意味があります。何もないところからこうした評価は生まれませんし、歴史上何かしらの役割を果たしたり、大きな流れを作り出したりした者がこの評価の対象となります。

 例えば呪術を体系化したとか、呪霊を狩る組織を初めて作ったとか、あるいは今の世界を形作ったとか、そういう「歴史における大きな流れの原点」としての位置付けが「御三家」なのではと思います。多くの呪物や呪具を抱えていたり、"相伝"と呼ばれるめちゃくちゃに強く汎用性が高い術式を持っていたりしますから、そういった面で「四大貴族」と対応していると言えるかもしれません。

 

 ただ、呪術廻戦には歴史上の人物や神話上の生き物も登場しています。菅原道真が日本三大怨霊と呼ばれていたり、宿儺が「ヤマタノオロチ」の名を口にしています。つまり少なくとも日本における呪術の歴史はかなり古いということです。

 御三家がいつから御三家と呼ばれているのかが定かではないためこの点はかなり曖昧ですが、仮に御三家が現代呪術界の礎を築いた一族であるなら、それと天元は無関係ではないのではないでしょうか。

 

 何せ天元の果たす役割として、「各拠点の結界や、補助監督の結界術の底上げ」があるくらいですから、天元というのが「気づいたら世界に存在していた守り神的存在」というよりも「現代の世界を安定させるために歴史上のどこかのタイミングで人為的に生み出されたもの」と解釈する方がよほどスッキリするのです。そう解釈しなければ天元というのはあまりに「現代社会に都合が良すぎる存在」だからです。まるで「そうあるようデザインされた」かのように。

 これが御三家によって作られた存在であるなら、合点がいきます。彼らが「御三家」と呼ばれる理由も実績も「天元創出」があるなら十分ですし、天元によって現在の世界が平定されたのなら天元がいない世界というのは、文字通り(偽夏油が目指す)「混沌の世界」となるわけですから。

 

 これがどのタイミングでの出来事なのかは、正直過去の時間軸の情報があまりにも少ないので妄想の域を出ませんが、呪術全盛と呼ばれた平安時代には、既に礎としての天元はいたのではないでしょうか。夏油が「500年に一度、星漿体と同化する必要がある」と半ば確信したように言っていたことからも、既に天元は一度か二度、肉体の情報を書き換えている可能性が高いわけですから。

 

4.結論

 ここまでの仮説、並びにそこから導いた結論をまとめていきます。

 藍染と偽夏油のこれまでの行動から、両者の間には類似が見られる。

  ①'両者ともに世界のあり方を変えようとしており、そのために既存の枠組みに囚われない種々の存在を人為的に作り出していた。

  ①"藍染は霊王を殺すことで世界を変えようと画策していた。

 ②霊王と天元は、その双方が現在の世界の礎としての側面があり、世界を安定させる装置である。

  ②'天元はその術式の特殊性から、生きた人間というよりも装置的な存在である。

  ②"天元の恩恵は、自然発生的なものではなく、人為性が感じられる。

 ③御三家は四大(五大)貴族と対応している。

  ③'四大貴族は霊王を「楔」にする罪を犯し、その結果現在の世界が作られた。

 

 総論:天元は御三家によって人為的に生み出された存在であり、その正体は公益の贄とされた人間である。

 

 天元の不死の術式というのが、実は「結界術の底上げ、呪力の流れを制御する支柱的役割」を課す代償として背負わされたものだったとかだったらより一層面白いですね。最悪の「縛り」ですから。

 あるいは獄門疆のように、特定の術式を持った人間が何らかの形で呪物になった、とかもありそうです。呪物化の過程で御三家が関わっていた、とか。

 

 途中から若干こじつけや妄想が強くなりましたが、今回の考察はこれで終わりとします。

 考察というのは考える過程を楽しむものなので、的中してもしなくてもみんなでわいわい楽しんでいきましょう。

 

 多分今後も不定期でこんな感じの考察記事を書いていきます。もはやディベートブログではなくディベーターが書くただのブログと化していますね。それはそれでありでしょう。

 

 それでは。

ジェンダー論議:「アファーマティブアクション」ってなんだ?

 ども、けろです。

 最近やっとキャッシュレスデビューしました。前々からクレカとの紐付けを進めてはいたんですが、紙の通帳を廃止したり貯蓄の自動振替を始めたりPayPayとクレカを紐付けたりと、日常の細部をやっと完全キャッシュレス化できました。

 まぁそれでも近所のラーメン屋の券売機とかはまだ現金しか対応してないので完全に現金を持ち歩かない生活はまだ先になりそうですが、それでもマネーフォワードでほとんど全ての収支の流れを見られるのは(今更ながら)まじですごいですね。もっと早く始めればよかった。

 あとは固定費の減額をしていければ現代社会で生きていけそうですが、とりあえず3月にauが始める格安プランの動向を見てから考えようと思います。

 

 というわけで久しぶりの本旨のジェンダー論議、「アファーマティブアクション」についてです。

 

 以下目次です。

0.はじめに

1.そもそもアファーマティブアクションって何?

2.機会の平等、結果の平等

3.アファーマティブアクションは「逆差別」か

 

0.はじめに

 そもそもなんでこのテーマを取り上げるに至ったかですが、先日Twitter上にこんなニュースが流れてきたからですね。

 

news.yahoo.co.jp

 

 ここのコメント欄が「さすがYahoo!ニュースだなぁ」と感動を覚えるくらいの民度で、この国の行く末を案じてしまいます。まぁ確かに義務教育でジェンダー社会学に関する教育を受けることがほぼないのでこんな状況が出来上がってしまうわけですが、世は令和です。「よく知らないけど私たちが気に食わないから叩くよーん!」なんて思考停止お気持ち批判はまかり通りません。それが許されるのは小学生までです。

 そんなわけで、令和に生きる私たちは価値観や情報、知識体系をアップデートしていかないといけないわけですから、一緒にこのビッグウェーブに乗りましょう。

 

1.そもそもアファーマティブアクションって何?

 まず本来の「アファーマティブアクション」というのが何を指すのか、例の如く勉強スタートダッシュ勢の強い味方、ウィキペディア先生の叡智を引用します。

 

ja.wikipedia.org

 

アファーマティブ・アクションアメリカ英語: affirmative action [əˈfɝmətɪv ˈæk.ʃən]、イギリス英語: positive discrimination [ˈpɒzɪ̈tɪv dɪskɹɪmɪˈneɪʃən]、肯定的措置、積極的是正措置)とは、弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための改善措置のこと。 

 

 他には「積極的差別是正措置」とかの言い方があったりしますが、イギリス英語だと"positive discrimination"というらしいですね。直接的な表現がかっちょいいです。

 ここで覚えておかなければいけないのは、これが「思考停止でとりあえず同数にしておけ!」というお気持ち先行での措置ではなく、「歴史的経緯や社会環境」という、現代社会において構造的な問題を前提とした制度であるということです。

 これを理解しておかないと、Yahoo!ニュースのコメント欄のような地獄がコピーアンドペーストで大量に発生してしまいます。

 

 つまり、「アファーマティブアクションの対象となる人種・性別等の属性は、背景として構造的な差別に直面しており、その構造の解体・差別の解消を目的としている」ということです。とりあえずこれだけ覚えてもらえれば万事オッケーです。

 

2..機会の平等か、結果の平等か

 さて、アファーマティブアクションを論じる上でよく見る論争が、「機会の平等vs結果の平等」です。

 前者は、例えば受験や就職、選挙等において、当事者が性別や宗教等の属性によって差別されないことです。以前東京医科大や聖マリアンナ医科大がニュースになったのはこれが侵害されていたからですね。「女性」や「浪人生」といった属性が理由となって減点措置がなされていたのは、この機会の平等への侵害ですね。「受験者が皆平等の環境で受験(機会)に望むことができる」というのは、とても大事な大前提なので。

 対して結果の平等というのは、文字通り受験・就職・選挙等の結果が対象となる属性全体に対して平等である、ということです。

 例えば「100人の枠に対して、合格者は男女同数」であれば受験者全体の構成比がどうであれ「男性50人、女性50人」という「結果」になる、ということです。少し雑ですが。

 アファーマティブアクションはこの二つのうち後者、つまり結果の平等をもたらすものです。

 これに関しては色々な議論がありますが、恐らく絶対に否定できない要素として、短期的にはトレードオフの状況が発生する、ということが挙げられますね。まぁ確かに、短期的に男女や他の属性を同数にしようとすれば、それに反した現場からは揺り戻しが発生します。現状の土台で(フェアだと思って)戦っている人からしたら「不公平」と映ってしまうわけですからね。

 ただ忘れてはいけないのは、先に書いた前提としての「構造的な差別の現存」という点です。よく聞く「機会の平等を目指せばいいだろう」という批判に対しての反論として、「果たして現代社会は機会の平等が担保されているのか」というのがあります。

 大学入試において、その前提となる高等教育に男女が平等にアクセスできているのか、受験という(地理的・金銭的格差が如実に現れる)ものに対して全員が公平な条件で臨めているのか等々、「結果の平等」を追い求める背景にはこういった批判があります。

 例えば女性の大学進学率が男性に比べて低い(地理的・社会的・経済的などの複合的な要因)時に「でも受験の要綱は差別的じゃないし!」といったところでそれは反論としては弱いですし、「結果の平等」に対する批判としてはそこまで強くないと思います。

 また、他には(ウィキペディアにある通り)「社会が醸成されていけば自然と同数になる」といった批判があり、ディベート上だと"organic change"などと呼ばれています。

 ただ、これも個人的には「え、いつまで待てばいいの?」と思ってしまいます。

 女性の高等教育へのアクセスが低い状況、様々な職種がいまだにジェンダーベースの就活が慣習化している現状、これはいつになったら解消されるのでしょうか。

 確かに、昭和から平成、令和にかけてこれらは幾分マシになったと言えます。ただ未だに総合商社といえば体育会系のイメージがついて回るし、CAといえば女性、エンジニアといえば男性といった、性別役割規範に基づく職業イメージというのは根強いです。これは企業側に限った話ではなく、就活生にも大きく影響します。

 興味があって時間的余裕がある方は、ぜひ一度航空会社のCA向け会社説明会に顔出してみてください。すごく面白いです。

 こういう状況が再生産され続けている中での「でも機械は平等だから」ほど空虚なものはありません。就活生も企業も、社会に広く蔓延している半透明の「空気」という魔物に追従して右ならえを続ける中で、それに反した動きをするのはとてつもない労力・体力・根気・勇気が求められます。

 そんな中でデッカい看板で「男女同数採用!」という文言が掲げられていたら、就活生にとってものすごく敷居が低くなる気がするんですね。例えば男性保育士、男性看護師、女性パイロット、女性エンジニア等々、まだまだ数が少ない職種に志望するときに「会社に就職してから自身のマイノリティ性に悩むかもしれない」という一抹の悩みが頭をよぎらないというのは、それだけでとんでもない支援になるわけですし。

 それが常態化し、社会全体としての性別役割意識が希薄化したとき、初めて「結果の平等」としてのアファーマティブアクションはその意味と必要性を失うわけです。

 つまり、「機会の平等を担保するために、短期的(10〜20年単位)に結果を平等にする」ということです。短期的にはトレードオフに見えても、長期的には地続きになっているというわけですね。

 もちろん運用上の問題とか、どのように制度を回していくのかというロジスティックな課題もありますが、それはアファーマティブアクションに対する本質的な批判ではありませんから、導入する側も批判する側も、議論の土台をきちんと踏まえるべきですね。

 

3.アファーマティブアクションは「逆差別」か

 アファーマティブアクションに対して寄せられる批判・反論のもう一つが、「逆差別」というものがあります。

 例えば前述の丸紅のニュースに対する批判として「男性が差別されて可哀想」というのがありました。n回見たテンプレ的批判で、目にするのも反論するのも疲れているのですが、これも本質的な批判じゃないと思っています。

 というのも、アファーマティブアクション等の差別是正措置によって(人種・性別・民族等の)マジョリティ側が感じる「不公平感」というのは、マイノリティ側がもう何十年も感じてきた感情だからです。

 これを下記のリンクでは「差別コスト」と呼んでいます。

 

 

 まぁオブラートに包まずに言えば「自分が履いてる下駄の透明さに気づかずに被害者面でマイノリティを踏みつけられる御身分羨ましいなぁ〜!」なんですが、きちんと建設的に言うのであれば「貴方達が感じている不公平さは、貴方達が既存の"公平さ"を享受していく中で踏みつけられていたマイノリティが感じていたものを、正そうとするときに不可避的に発生する一時的なものである」ということです。

 論旨的には少しズレますが女性専用車両に対して「男性差別だ!」と宣う方々がいますが、それも同じで「貴方達が平等・公平に享受していたと思っていた公的サービスは、実はその裏で多くの女性達に身体的・精神的不安を与えていた」わけです。

 この、「(自身のマジョリティ性・下駄の透明さに気づかない)マジョリティにとっては不公平な、マイノリティにとってはやっと実現した公平な場」への助力の一つがアファーマティブアクションだと、僕は捉えています。

 

 こう言われるとムッとする人もいるとは思います。

 でもその「ムッ」とした感情の正体というのが実は、自分の立つマジョリティとしての特権を崩されたことに対する、既得権益を守ろうとする反応なのかもしれません。

 もちろん全てがそうとは言い切れません。例えば「当社は育児休暇・産休が取りやすいので女性が働きやすい環境です!」という、ツッコミどころ満載かつ男性・女性双方にとって激ヤバなことをいう会社もまだまだたくさんありますし。

 が、女性専用車両導入に対して「男性専用車両がないのはおかしい!」と攻撃するのはどう考えても言う相手が違うし、「女子大学があるのに男子大学がないのは男性差別だ!」と吠えるのは「僕は女子大学設立の背景は知らないし調べようとも思わないけどなんとなく気に食わないぞ!」というヤベェ自己紹介です。

 

 今回の丸紅の件も「環境適用のために同質化した状況から脱する」ことを目的としています。総合商社というのはどうしても体育会系な雰囲気が強く、例えば早慶の体育会系がゴリゴリいたりします(もちろんそうじゃない人もいます)。言い方が悪くなりますが、このゴリゴリした体育会系だけの集団というのは、個人的には"古い"と思います。どうしてもエコチェンバー化してマッチョイズムが強くなりやすいし、そういう状況下で多様な働き方というのは実現しようと思っても時間がかかったりしますし。

 大企業がそこから脱しようというのは、ものすごく大きな決断だと思うし、「男女同数」という目的にすることによって舵取りをするというのも素晴らしいと思いますね。

 

 僕個人はアファーマティブアクションに対して(基本的に)全面賛成なのでこのような内容になりましたが、ここで書き殴った暴言の類を社会に投げつけると悍ましい目に遭うので、もし議論をする機会があればきちんとした言葉を使うようにしてください。

 世の中には、知っている人、知らないが話せば分かってくれる人、知らないし手段が目的化してるから話が通じない人の三種類がいて、相手がそのどれに当たるのかは話してみないと分かりませんから。

 

 ほんじゃまぁ、今回はこんな感じです。

 また何か気になるニュースとかあれば、それについて取り上げます。

 それでは。