ジェンダー論議:ジェンダーロールとジェンダーバイアスについて

 ども、けろです。

 ご存知の通り私は前世で何をやらかしたのか分からないくらいとんでもないサボり癖があります。自分でも引くくらいのサボり癖なので、冷静に考えてディベートを6年も続けられてるのが驚異です。

 なので今回みたいに連日更新をすることは今後あまりないと思ってください(開き直り)。

 

 ブログを読んでくださってる方はそろそろ「雑感とか書いてないでさっさと概論の続き書けよ」ってブチ切れてると思うんですが、そんな冷ややかな目線を感じながらも、持ち前の鋼メンタルで雑感を書いていきます。

 

 今回のテーマは「ジェンダーロールとジェンダーバイアスについて」です。

 例のごとく知ってる人にとってはとても基礎的な内容が続くと思いますが、当ブログは初心者や入門者を対象にしていたりするので許してクレメンス。

 また、例のごとく以下に書く内容は私という一大学生の個人的見解、考えに基づいています。鵜呑み、丸呑み、盲信等はくれぐれもやめてください。

 

 

 gender role、日本語ではジェンダーロール、性役割と言います。

 これは、性別によって社会から期待される一定の役割・行動規範のことを指します。

 なんのことやらしっくりこない人は、「女々しい」「男らしい」といった言葉を連想してみてください。「女々しい」とは「意気地がない・未練がましい」といった様子を指す言葉ですが、なぜか語句に「女」が使用されています。では「男らしい」といった語から何を想像するかというと、「自分で決断をする・スポーティでかっこいい」みたいな感じですね。これも、特定の能力や様子を指すはずがなぜか「男」という性別を含む語が使われています。

 ここまで読めばなんとなくお分かりかと思いますが、こうした性別に基づく言説や、それが常態化した規範は、個人を当人の個性や好みに関わらず、生まれ持った「性別」で特定の行動が期待されてしまいます。

 だからこそ、その期待や規範から外れる行為をとる人に対しては「男らしくない」「女らしくしなさい」といった押し付けが起こります。

 男性でいえばマッチョイズム、女性でいえば可憐でおしとやか、といった、『なんだかよく分からないけどなんとなく性別から連想されるふわふわとしたもの』の集合体がジェンダーロールであると思ってください。

 昔であれば(まぁこれは今も一部には残っていますが)「男はソト・女はウチ」という性別役割分業も、こうしたジェンダーロールの現れですね。

 

豆知識

アメリカでは19世紀前半に興隆しました。

 背景を詳しく知りたい人は、「共和国の母」「家庭の天使」"Separate Sphere"といった語で論文等を検索してくださればより詳細がわかると思います。

 端的にわかりやすいのはバーバラ・ウェルター(Barbara Welter)の書いた"Cult of True Womanhood"という論文です。インターネットでも読めるので気になった人は是非。

 

 明治学院大学加藤秀一教授は著書『知らないと恥ずかしいジェンダー入門』の中で性役割について以下のように述べています(本当は一章分丸々引用したいのですが文字数がインフレするのでかなり絞っています。前後が気になる人は是非読んでください)。

 

 性役割とは、ある人に対して、その人が全体としてどういう人物であるかということをありのままに知ろうとしない、すなわち現実を認めずに、その人の属性の一部である性別だけによって、一連の行動パターンを相手に期待する規範である、ということです。

 そして、それは規範である以上、それに違背した人は責められる。このような責めを、社会学の用語で「負のサンクション」あるいは単に「サンクション」と呼びます。男だからこうすべきだ、女だからこうしなさいという性役割規範に違背したためにサンクションを受けた経験は、特定の人だけのものではないはずです。私の友人に、子供のときに足を広げて座っていたら、親から「女の子なんだから、やめなさい!」と怒られたことを一種の原体験としてずっと鮮明に覚えているという女性がいますが、そうした家庭内の体験から始まって、職場やマスメディアのような社会領域に到るまで、女性または男性としての性役割に違背した人は、いじめや排斥や仕事上の不利益といった、さまざまなやり方でサンクションを受けてしまうのです。

 しかもこのようなサンクションは、親や他人や世間や社会など、当人の外部からもたらされるだけではありません。人間は規範に骨までどっぷりと浸かった存在ですから、自分自身の内側に染みこんだ規範の観念が、その規範に違背した自分自身を苦しめるということは決して稀ではありません。たとえば、不妊症の女性が、子供を産むという望みを阻まれたための挫折感や喪失感に苦しめられるだけではなく、しばしば自分自身を責めるような感情に苛まれることの奥底には、「女は子供を産んで一人前」という内面化された性役割規範の感覚にそ女性自身が苦しめられるという要因もあると思われます。また、中高年男性の自殺が最近十年間の日本で非常に増えていることの背景には、急速に変化する経済的・社会的状況のなかで、かつてのように「一家の大黒柱」として妻子を養っていく余裕のなくなった男性たちが自らの男としての不甲斐なさに打ちのめされるというケースが少なくないと言われています(*1)。

 

 既に一ブログで引用していい常識的な文字数をオーバーしている気もしますが、続けます。加藤は、「性差」と「性役割」の関係性と、その二つを規範的に接続する「だから〜すべき」という言説について真っ向から「論理的には無関係である」とぶった切っています。

 

 男は仕事、女は家庭という性別役割を正当化しようとして、「女は生物学的に子供を産むものなのだから、家庭に入って子育てに専念するのが合理的だ」といった論法を振り回す人がいますが、それはべつに論理ではありません(ちなみに、「合理的」というところには、「科学的」「当然」「あるべき姿」「幸せ」「女の道」などなど、正当化のためのいろいろな言いまわしを入れ替えてみてください)。女が子供を産むという事実は、ひとまずその通りとしか言いようのない事実です。けれども、その事実をふまえた上でどのような価値を主張するかは開かれた問題であり、論理的に一通りに答えが決まるような事柄ではないのです。女は子供を産むようにできているという前提に、「だから、(女である)あなたは子供を産むべきだ」という価値判断を含む文を接続することも、正反対の意味の「しかし、あなたは(女であっても)子供を産むべきではない」という価値判断を含む文を接続することも、どちらをとっても論理的な優劣はありません(*2)。

 

 性役割を固定すべきだと主張する人たちは「女(男)なんだから女(男)らしくするのが当然だ」式の言いまわしを好む傾向があるようです。おそらく彼・彼女たちは、それが論理的に飛躍した命題であることを理解していないのでしょう。嘘だと思ったらかれらに対して「なぜ女は女らしくしなくてはいけないのか」と質問してみてください。「そうに決まっている」「あたりまえだ」といった、答えにならない答えしか返ってこない可能性が高いと思います。そうだとすれば、その主張はどれほどもっともらしく飾り立てられていても、結局は「自分はそう思うんだ」という価値判断に過ぎなかったのです。

 しつこく繰り返しますが、価値判断だから悪いと言っているのではないし、「女は女らしくするべきだ」という価値判断自体の是非を問題にしているのでもありません。じつは特定の立場からの価値判断なのに、それを論理的に正しい主張であるかのように勘違いしていること、そして他人にもそう見せかけようとしていることが悪いのです(*3)。

 

 入門書と銘打ってますが、今まで漠然と認識していたことが全部文字で起こされていてめちゃめちゃスッキリしました。

 このままいくと全文を引用してしまいそうなのでここら辺でやめますが、初めてよんだとき自分は「せやな」「ほんまそれ」とエセ関西弁が止まりませんでした。

 タイトルこそ「入門書」ですが、ジェンダーに関して興味がある方、アンテナが強い方はぜひご一読ください(ステマではない)。

 

 さて、話はやや変わりますが、BBCの動画でとても面白い実験の動画があります。

 これは、男の子と女の子にそれぞれ「異なる性別の服装」を着せ、一般人にあやしてもらうよう促す実験です。とても面白いのは、参加者は無意識的に「男の子(に見える子)には男の子用(とされる)おもちゃを与え」「女の子(に見える子)には女の子用(とされる)おもちゃを与え」るという結果になったというものです。

 普段意識的にジェンダーというものを考えている人でも、こういう場になると無意識に刷り込まれたジェンダーというものに基づいて選考してしまうということの証左が少し垣間見えた気がします。

www.youtube.com

 

 もう一つ、めちゃめちゃ興味深い動画を紹介します。

 とある学校で、先生が「消防士(firefighter)」「外科医(sugeron)」「戦闘機乗り(fighter pilot)」の絵を描くように子供達に言います。子供達はそれぞれ色々な絵を描くんですが、面白いことにその絵の性別はほとんどが「男性」でした。

 でも実際に生徒たちの前に登場したのは「女性」の消防士、外科医、戦闘機乗り。 

www.youtube.com

 

 意外と、性別にまとわりついているイメージって根深いし、それは時として趣向だったり職業だったりといった様々なものにステレオタイプを内在化させます。

 そして、そうして無意識下に内在化したステレオタイプは個人の選択を狭めたり、規範に反した選択をした個人の自己評価を下げる要因にもなったりします。

 

 それこそがgender bias(性偏見・性差別・ジェンダーバイアス)です。

 例えばメイクが好きな男性は周りから「オカマ」と揶揄されることがありますし、女性はなぜか就職活動で「結婚したら仕事はどうするの?」と聞かれることがあったりします。それは例えば男女の賃金格差を正当化するレトリックとして使われることもあります。

 前回のブログで取り上げたトランスジェンダーXジェンダーといった方々が日常生活で嫌な思いをする理由が、こうしたジェンダーロールの根深さだったりします。

 人は、他人の性別を外見を元に判断し、それに基づいてその人に特定の「期待」を寄せます。だからこそそうした「規範(の背景にある性別)」と「なりたい自分の姿」が乖離していた時に好奇の目に晒されることになったりするんです。どう考えてもうんち。

 

 要すると、「男(女)だからこうすべき」という価値判断、それ自体を抱くことは個人の自由ですが、それを他者に強制したり、社会的な潮流として押し付けたり、あまつさえそれを「自然」「あたりまえ」とすることはとてもとても気持ちが悪いし、自分はこれからもノーを突きつけていきます。

 

性役割 - Wikipedia

Gender role - Wikipedia

Gender Identity & Roles | Feminine Traits & Stereotypes

10 examples of gender bias you may encounter in the workplace - TechRepublic

 

 ちょっと良さげなモーションがこれくらいしか見つからなかったのですが個人的にとても好きなのでぜひ。

THBT early childhood education should undermine traditional gender roles.

TH, as feminists, opposes classic Disney Films(e.g. Snow White, Cinderella etc.). 

 

 ディズニーはここら辺のジェンダー問題に関して割と世相を反映しながら作品を作っていると思います。以下に面白そうなサイトのリンクを貼っておきます。

9 Harmful Stereotypes We Never Realized Our Favorite Disney Movies Taught Us

 

"Gender Role Portrayal and the Disney Princesses"

https://s3.amazonaws.com/academia.edu.documents/45054385/Gender_Portrayal.pdf?AWSAccessKeyId=AKIAIWOWYYGZ2Y53UL3A&Expires=1538724303&Signature=9hzP0ZY%2FZqUhw5oI3SAR297cTaQ%3D&response-content-disposition=inline%3B%20filename%3DGender_Role_Portrayal_and_the_Disney_Pri.pdf

 

 

 何か分からないことあったらなんでも質問してちょ〜。

 では。

 

引用

1. 加藤秀一『知らないと恥ずかしいジェンダー入門』朝日新聞出版、2006年、130-1頁

2. 同上、133頁

3. 同上、134-5頁