ディベート小噺:学年大会の重要性について

 ども、けろです。

 毎回ここの書き出しが「久しぶりすぎて云々」というくだりになっているの、そろそろ皆さんも飽きてきたと思うしn番煎じの少年漫画みたいになりつつあるのでどうしようかと頭を抱えています。

 いや、「じゃあブログ書けよ」っていう反論がぶっ刺さって串刺しになっているのはその通りなんですが、如何せん飽き性というか気分屋なので、それすら難しいというかなんというか。

 そんなこんなで不定期更新ディベートブログという、ただでさえ母数の少ないコミュニティで読者をふるいにかけるスタイルを今後も貫こうと思います。

 

 というわけで今回のトピックは「学年大会の意味・意義」です。

 一応釘を刺しておくと、知り合いの某あんぱんのnoteと、それに端を発する「学生大会における「学生」の論争」とは一切関係ありません。本記事で取り上げるのは「学年大会」であって、「学生大会」ではないのでまじのまじで1ミリも関係ありません。炎上・延焼の気配を嗅ぎつけてワクワクして覗きにきた方は申し訳ありません。まぁ個人的には競技における参加基準は(他の参加者への公平性の観点から)一程度厳格にするべきだという伏線は置いておきますね。僕は冨樫なのでこの伏線の回収はしません。

 それとは関係ないですが、このnoteに書かれていることはコミュニティに所属する全ての人、これから運営をするであろう人に一度は読んでもらいたい文章です。包括性と排他性は表裏一体であるということ、忘れてはいけません。

note.com

 

 話が明後日の方向にいきましたが以下本題です。

0.はじめに

1.コンフォートゾーンとしての学年大会

2.オープン大会の「ルーキーカテゴリー」との違い

3.「学年大会」の参加資格はどうあるべきか

 

0.はじめに

 多分これを言っておかないと揚げ足をとることに命をかけ、お気持ちをロジックで武装した人に燃やされることが予見されるので今一度「学年大会」と「学生大会」の違いを述べておきます。

 前者は銀杏杯や紅葉杯、ジェミニ杯といった、「参加資格として大学の年次・ディベート歴が基準となる大会」のことを指し、後者は「参加資格として学部・大学院等への在籍といった、"学生"であることが要求される大会」のことです。春Tや秋T、東映杯や凌霜杯が挙げられるでしょうか。多分BP Noviceはこの中間くらいの位置付けの大会だと思います。

 それを踏まえて、今回触れるのは前者の方です。1年生大会である銀杏杯や紅葉杯やKK Cup、2年生大会のジェミニ杯のことです。後者に関してはきっと誰かが記事にしてくれると思うのでとりあえず放置します。

 ※と思って筆を進めていたらリアルタイムで某あんぱんが続きのnoteを公開してたので慌てて遡ってリンクを貼っておきます。

note.com

 

 

 まぁ今回なんでこの記事を書くことにしたかというと、時折ディベート界で議論になるんですよ、学年大会存廃が。

 廃止側の意見も分からなくはないけど、個人的な結論を言うなら「ロジカルだけどエシカルじゃないし、それをやったらコミュニティの衰退が目に見える」から反対です。

 というわけでここから先は「学年大会賛成・存置派のOBがなんか好き放題言う」内容となります。言う必要はないと思うけど、特定の団体とか所属とかそんな感じのあれやこれやを代表するわけじゃないです(てかこれって代表する時だけ言えばいいですよね、知らんけど)。

 

1.コンフォートゾーンとしての学年大会

 皆さんは「学年大会」と聞いて真っ先に何を思い浮かべますか。

 僕は「コンフォートゾーン」という単語が真っ先に浮かびました。横文字カッケーしたいわけじゃないので、適当に「オアシス」「野戦病院」「町内会」とか好きな単語で置き換えてください。

 

 要するに1年生大会や2年生大会って、「他の学年(≒上級生)から完全に自由な空間」なんですよ。普段部活でデカい顔してクロージングからボコボコにしてくる先輩も、DLOからメインマターとメカニズム5個出してGWをパンクさせる先輩も、負けつけた途端噛み付いてくる奴もいない空間。ちなみに僕はこれを書いていてブーメランで胴体微塵切りになりました。今度見かけたらバターソテーにしてください。

 これ、競技を始めたばかりの1年生とか、(この言葉を使うのは本意じゃありませんが)エンジョイ勢とかにとってめちゃくちゃ大事だと思うんですよね。

 というのも、やっぱり大会でつえー上級生とかOBOGとかにボッコボコにされるのって普通に怖いししんどいじゃないですか。よくわかんない上級生がいきなりPOIに立ってくる恐怖心とか、社会人n年目のすごそうな人がガンガン反論してくるのとか。

 別にそれをするな、と言ってるわけじゃないです。そのためにオープン大会がありますから、誰であろうとぶっ殺すみたいな、殺意ゲージがトリコ終盤の捕獲レベルみたいに高い人は是非そちらで狩猟を楽しんでほしいし。

 

 そうではなくて、「ディベートは好きだし大会に出てみたいけど、知らん上級生とかが重装兵が跋扈している戦場で己の命を曝け出す闘争はちょっと…」みたいな学生にとって、この「上級生から自由な空間」というのはのびのびとディベートできる貴重な場だと思うんです。

 これを「ディベート実力主義だろ」とか「嫌な辞めろ/強くなれ」とか平気で言っちゃう人は、個人的には二度とディベート中にvulnerable peopleの話をしてほしくないですね。英国議会を模したとは言っても舌の枚数まで真似ろとは言ってないので。

 

 ディベートコミュニティの競技人口を増やしたいのであれば、多くの人にディベートという競技を楽しんでもらいたのであれば、こういうコンフォートゾーンは残すべきだと思うんですよ。だって実力主義を謳っているスポーツ界だって新人戦はあるわけだし、いわば「登竜門」「入門編」くらいの位置付けを置いておく方が大会参加の敷居は低くなると思うんです。

 

 あとは単に、同じくらいのディベート歴を持つ同期達の中で一番になりたいという、最強決定戦としての競争促進の意味もあると思います。

 

 

2.オープン大会の「ルーキーカテゴリー」との違い

 ここまで読んでくれた物好きな方の中にはきっと、「でもそれってルーキーカテゴリーで代替できるんじゃね?」と思った方もいると思います。

 個人的にルーキーカテゴリーと学年大会は決定的に違うと思っていて、それが以下の2点です。

a)やっぱり上級生怖いよ

 いや普通に怖くないですか。

 競技を始めた最初から驚きの胆力と殺意を持ってる人は別にいいんですけど、ディベート始めたばかりで右も左も分からん人達の前に突然「私のディベート歴は53万です」「社会人4年目(クアトロ・シャカイジン)、エルダリー・ピープルだ」「うるせぇ!ディベートしよう!(ドンッ)」みたいな輩が立ちはだかったら僕だったら普通にキレます。

 

 というのも、このルーキーカテゴリーというのはあくまで「オープン大会内部に併設されたシステム」で、このカテゴリーにたどり着くためには予選ラウンドで上級生と殴りあわないといけないんですよ。しかもタブの仕様上、R1でもし上級生同士が当たるとR2の1敗ラウンドに上級生が落っこちてくるという、パズーもびっくりも展開になるわけです。

 隙あらば自分語りをするんですが、僕の大学は所謂中小大学というやつで、部員のモチベもかなりバラついていました。モチベ高い数人はオープン大会に出たりするけど、そうじゃない人はあくまでエンジョイしたいって思っていて、そういう1・2年生にオープン大会を勧めても「いやそれはちょっとハードルが……」みたいな反応が返ってきました。銀杏杯や梅子杯に出てくれることは多かったので、やはりこういう機会って大事なんだなと。

 

b)大会によってルーキーの基準が違うよ

 これも結構重要だと思っていて、オープン大会も大会毎に基準が違うんですよ。

 例としてJBPを挙げると、年によって「1年生ペアだけ」が対象だったり「1年生と2年生チーム」も対象だったり、2020年に関しては「主要なメジャー大会に出てなければNovice」だったりと、同じ大会でも結構違ったりします。大会が違えばこの基準も変わってきます。

 別にこれ自体に批判をするつもりはまじで毛頭なくて、好きにすればいいと思っています。

 が、これを前述のようなディベーターに当てはめると結構しんどいんですよ。

 「Noviceカテゴリーだ!」と思っても蓋を開けてみたら「ゴリゴリに強い2年生」「メジャー大会経験してない社会人」とかが同じカテゴリーにいたりするので(繰り返しますがその制度やそれを利用する参加者自体はまじで批判してないです。まじで)。

 

 まぁ学年大会も最近は変遷してきているというか、高校での経験者とか帰国勢とかも増えてきたりしているのでこれは程度問題な気もしますが、それでも「同期であることによる一種の安堵感・納得感」はあると思うんですよ。

 

 だから「空間そのものが上級生から隔絶されている場」としての学年大会はやっぱりあった方がいいよね、って結論です。

 

 

3.「学年大会」の参加資格はどうあるべきか

 ただこれもコミュニティ変遷の弊害というか課題というか、ひとえに「学年」と言っても単純に「大学の年次」で判断していいのか、という問いが残ります。

 2年生からディベートを始めた所謂「2フレ」はいきなりオープン大会に放り込まれてしまうことになってしまうし。

 ただ、やたらと裾野を広げればいいのかと言えばそれも違う気もします。1年生大会に「強い高校生(1年生からディベートをしていて今2年目)」の参入を認めると「学年大会とは」みたいな問答が始まってしまうし、それは本来あった「コンフォートゾーン」の破壊に繋がりかねないか、とも思うし(別に高校生を締め出せ、というわけじゃないです)。

 

 個人的な妥協点というか、一定の公平性を保てるのはやはり「ディベート歴」なのかなと思います。高校生大学生問わず一律に「ディベートを始めた時点」を起点として、大会開催時での年数で線引きする。経験年数が実力に直結するわけではないというのは悲しくも僕自身が例証なのですが、それでも一定の相関はあると思うので。

 あとは今年の銀杏杯や梅子杯が導入したように、「ディベート歴で参加資格を規定するけれど海外経験年数/高校でのディベート歴の有無で本選ラウンドのカテゴリーを細分化する」という絡め手も、包括性を担保しながら「学年大会」の枠組みを崩さないようにしている例として非常に素晴らしいと思います。個人的にはポケモンダイパ世代としては銀杏杯のカテゴリー名は大好きです。

 

 ここに関する議論は、今後競技ディベートが普及していく中で常につきまとってくると思います。今は中学生からディベートを始める人もいるし、そういう人が仮に大学入学まで続けていた場合入学時点でディベート歴が6年、みたいなことになるので。

 つきまとってくるということは、コミュニティとしても大会を運営する側としても、この問いには必ず向き合わなければいけないとも思います。参加者に対して一定の公平性を担保するというのは運営の責務ですし、ここから逃れることは競技の根本を崩壊させることに繋がるので。

 

 これはSNSでも呟いたことですが、"包括性"というのは突き詰めれば"特定の人にとっての排他性"と同義になるし、何でもかんでも"多様性"という言葉でパッケージするにはあまりに複雑な問題だと思います。

 という月並みな文で締め括ります。

 それでは。