ジェンダー論議:「アファーマティブアクション」ってなんだ?

 ども、けろです。

 最近やっとキャッシュレスデビューしました。前々からクレカとの紐付けを進めてはいたんですが、紙の通帳を廃止したり貯蓄の自動振替を始めたりPayPayとクレカを紐付けたりと、日常の細部をやっと完全キャッシュレス化できました。

 まぁそれでも近所のラーメン屋の券売機とかはまだ現金しか対応してないので完全に現金を持ち歩かない生活はまだ先になりそうですが、それでもマネーフォワードでほとんど全ての収支の流れを見られるのは(今更ながら)まじですごいですね。もっと早く始めればよかった。

 あとは固定費の減額をしていければ現代社会で生きていけそうですが、とりあえず3月にauが始める格安プランの動向を見てから考えようと思います。

 

 というわけで久しぶりの本旨のジェンダー論議、「アファーマティブアクション」についてです。

 

 以下目次です。

0.はじめに

1.そもそもアファーマティブアクションって何?

2.機会の平等、結果の平等

3.アファーマティブアクションは「逆差別」か

 

0.はじめに

 そもそもなんでこのテーマを取り上げるに至ったかですが、先日Twitter上にこんなニュースが流れてきたからですね。

 

news.yahoo.co.jp

 

 ここのコメント欄が「さすがYahoo!ニュースだなぁ」と感動を覚えるくらいの民度で、この国の行く末を案じてしまいます。まぁ確かに義務教育でジェンダー社会学に関する教育を受けることがほぼないのでこんな状況が出来上がってしまうわけですが、世は令和です。「よく知らないけど私たちが気に食わないから叩くよーん!」なんて思考停止お気持ち批判はまかり通りません。それが許されるのは小学生までです。

 そんなわけで、令和に生きる私たちは価値観や情報、知識体系をアップデートしていかないといけないわけですから、一緒にこのビッグウェーブに乗りましょう。

 

1.そもそもアファーマティブアクションって何?

 まず本来の「アファーマティブアクション」というのが何を指すのか、例の如く勉強スタートダッシュ勢の強い味方、ウィキペディア先生の叡智を引用します。

 

ja.wikipedia.org

 

アファーマティブ・アクションアメリカ英語: affirmative action [əˈfɝmətɪv ˈæk.ʃən]、イギリス英語: positive discrimination [ˈpɒzɪ̈tɪv dɪskɹɪmɪˈneɪʃən]、肯定的措置、積極的是正措置)とは、弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための改善措置のこと。 

 

 他には「積極的差別是正措置」とかの言い方があったりしますが、イギリス英語だと"positive discrimination"というらしいですね。直接的な表現がかっちょいいです。

 ここで覚えておかなければいけないのは、これが「思考停止でとりあえず同数にしておけ!」というお気持ち先行での措置ではなく、「歴史的経緯や社会環境」という、現代社会において構造的な問題を前提とした制度であるということです。

 これを理解しておかないと、Yahoo!ニュースのコメント欄のような地獄がコピーアンドペーストで大量に発生してしまいます。

 

 つまり、「アファーマティブアクションの対象となる人種・性別等の属性は、背景として構造的な差別に直面しており、その構造の解体・差別の解消を目的としている」ということです。とりあえずこれだけ覚えてもらえれば万事オッケーです。

 

2..機会の平等か、結果の平等か

 さて、アファーマティブアクションを論じる上でよく見る論争が、「機会の平等vs結果の平等」です。

 前者は、例えば受験や就職、選挙等において、当事者が性別や宗教等の属性によって差別されないことです。以前東京医科大や聖マリアンナ医科大がニュースになったのはこれが侵害されていたからですね。「女性」や「浪人生」といった属性が理由となって減点措置がなされていたのは、この機会の平等への侵害ですね。「受験者が皆平等の環境で受験(機会)に望むことができる」というのは、とても大事な大前提なので。

 対して結果の平等というのは、文字通り受験・就職・選挙等の結果が対象となる属性全体に対して平等である、ということです。

 例えば「100人の枠に対して、合格者は男女同数」であれば受験者全体の構成比がどうであれ「男性50人、女性50人」という「結果」になる、ということです。少し雑ですが。

 アファーマティブアクションはこの二つのうち後者、つまり結果の平等をもたらすものです。

 これに関しては色々な議論がありますが、恐らく絶対に否定できない要素として、短期的にはトレードオフの状況が発生する、ということが挙げられますね。まぁ確かに、短期的に男女や他の属性を同数にしようとすれば、それに反した現場からは揺り戻しが発生します。現状の土台で(フェアだと思って)戦っている人からしたら「不公平」と映ってしまうわけですからね。

 ただ忘れてはいけないのは、先に書いた前提としての「構造的な差別の現存」という点です。よく聞く「機会の平等を目指せばいいだろう」という批判に対しての反論として、「果たして現代社会は機会の平等が担保されているのか」というのがあります。

 大学入試において、その前提となる高等教育に男女が平等にアクセスできているのか、受験という(地理的・金銭的格差が如実に現れる)ものに対して全員が公平な条件で臨めているのか等々、「結果の平等」を追い求める背景にはこういった批判があります。

 例えば女性の大学進学率が男性に比べて低い(地理的・社会的・経済的などの複合的な要因)時に「でも受験の要綱は差別的じゃないし!」といったところでそれは反論としては弱いですし、「結果の平等」に対する批判としてはそこまで強くないと思います。

 また、他には(ウィキペディアにある通り)「社会が醸成されていけば自然と同数になる」といった批判があり、ディベート上だと"organic change"などと呼ばれています。

 ただ、これも個人的には「え、いつまで待てばいいの?」と思ってしまいます。

 女性の高等教育へのアクセスが低い状況、様々な職種がいまだにジェンダーベースの就活が慣習化している現状、これはいつになったら解消されるのでしょうか。

 確かに、昭和から平成、令和にかけてこれらは幾分マシになったと言えます。ただ未だに総合商社といえば体育会系のイメージがついて回るし、CAといえば女性、エンジニアといえば男性といった、性別役割規範に基づく職業イメージというのは根強いです。これは企業側に限った話ではなく、就活生にも大きく影響します。

 興味があって時間的余裕がある方は、ぜひ一度航空会社のCA向け会社説明会に顔出してみてください。すごく面白いです。

 こういう状況が再生産され続けている中での「でも機械は平等だから」ほど空虚なものはありません。就活生も企業も、社会に広く蔓延している半透明の「空気」という魔物に追従して右ならえを続ける中で、それに反した動きをするのはとてつもない労力・体力・根気・勇気が求められます。

 そんな中でデッカい看板で「男女同数採用!」という文言が掲げられていたら、就活生にとってものすごく敷居が低くなる気がするんですね。例えば男性保育士、男性看護師、女性パイロット、女性エンジニア等々、まだまだ数が少ない職種に志望するときに「会社に就職してから自身のマイノリティ性に悩むかもしれない」という一抹の悩みが頭をよぎらないというのは、それだけでとんでもない支援になるわけですし。

 それが常態化し、社会全体としての性別役割意識が希薄化したとき、初めて「結果の平等」としてのアファーマティブアクションはその意味と必要性を失うわけです。

 つまり、「機会の平等を担保するために、短期的(10〜20年単位)に結果を平等にする」ということです。短期的にはトレードオフに見えても、長期的には地続きになっているというわけですね。

 もちろん運用上の問題とか、どのように制度を回していくのかというロジスティックな課題もありますが、それはアファーマティブアクションに対する本質的な批判ではありませんから、導入する側も批判する側も、議論の土台をきちんと踏まえるべきですね。

 

3.アファーマティブアクションは「逆差別」か

 アファーマティブアクションに対して寄せられる批判・反論のもう一つが、「逆差別」というものがあります。

 例えば前述の丸紅のニュースに対する批判として「男性が差別されて可哀想」というのがありました。n回見たテンプレ的批判で、目にするのも反論するのも疲れているのですが、これも本質的な批判じゃないと思っています。

 というのも、アファーマティブアクション等の差別是正措置によって(人種・性別・民族等の)マジョリティ側が感じる「不公平感」というのは、マイノリティ側がもう何十年も感じてきた感情だからです。

 これを下記のリンクでは「差別コスト」と呼んでいます。

 

 

 まぁオブラートに包まずに言えば「自分が履いてる下駄の透明さに気づかずに被害者面でマイノリティを踏みつけられる御身分羨ましいなぁ〜!」なんですが、きちんと建設的に言うのであれば「貴方達が感じている不公平さは、貴方達が既存の"公平さ"を享受していく中で踏みつけられていたマイノリティが感じていたものを、正そうとするときに不可避的に発生する一時的なものである」ということです。

 論旨的には少しズレますが女性専用車両に対して「男性差別だ!」と宣う方々がいますが、それも同じで「貴方達が平等・公平に享受していたと思っていた公的サービスは、実はその裏で多くの女性達に身体的・精神的不安を与えていた」わけです。

 この、「(自身のマジョリティ性・下駄の透明さに気づかない)マジョリティにとっては不公平な、マイノリティにとってはやっと実現した公平な場」への助力の一つがアファーマティブアクションだと、僕は捉えています。

 

 こう言われるとムッとする人もいるとは思います。

 でもその「ムッ」とした感情の正体というのが実は、自分の立つマジョリティとしての特権を崩されたことに対する、既得権益を守ろうとする反応なのかもしれません。

 もちろん全てがそうとは言い切れません。例えば「当社は育児休暇・産休が取りやすいので女性が働きやすい環境です!」という、ツッコミどころ満載かつ男性・女性双方にとって激ヤバなことをいう会社もまだまだたくさんありますし。

 が、女性専用車両導入に対して「男性専用車両がないのはおかしい!」と攻撃するのはどう考えても言う相手が違うし、「女子大学があるのに男子大学がないのは男性差別だ!」と吠えるのは「僕は女子大学設立の背景は知らないし調べようとも思わないけどなんとなく気に食わないぞ!」というヤベェ自己紹介です。

 

 今回の丸紅の件も「環境適用のために同質化した状況から脱する」ことを目的としています。総合商社というのはどうしても体育会系な雰囲気が強く、例えば早慶の体育会系がゴリゴリいたりします(もちろんそうじゃない人もいます)。言い方が悪くなりますが、このゴリゴリした体育会系だけの集団というのは、個人的には"古い"と思います。どうしてもエコチェンバー化してマッチョイズムが強くなりやすいし、そういう状況下で多様な働き方というのは実現しようと思っても時間がかかったりしますし。

 大企業がそこから脱しようというのは、ものすごく大きな決断だと思うし、「男女同数」という目的にすることによって舵取りをするというのも素晴らしいと思いますね。

 

 僕個人はアファーマティブアクションに対して(基本的に)全面賛成なのでこのような内容になりましたが、ここで書き殴った暴言の類を社会に投げつけると悍ましい目に遭うので、もし議論をする機会があればきちんとした言葉を使うようにしてください。

 世の中には、知っている人、知らないが話せば分かってくれる人、知らないし手段が目的化してるから話が通じない人の三種類がいて、相手がそのどれに当たるのかは話してみないと分かりませんから。

 

 ほんじゃまぁ、今回はこんな感じです。

 また何か気になるニュースとかあれば、それについて取り上げます。

 それでは。