ディベート小噺:1年生大会、NAかBPか。

 ども、けろです。

 実家に帰ってきていて暇でやることがないので、ブログ更新します。ブログなんてそんなもんです。

 

 今回の内容は、タイトルにもあるように「1年生大会ってNAがいいの?BPがいいの?」っていうよく聞く論争についてです。

 僕個人の思想はあくまでNA派なので、昨今のBP化の潮流に見事に反しています。デジタル化の流れについていけないおじいちゃんみたいですね。うるせぇ。古き良き伝統パンチを喰らえ。

 まぁここでNAとBPのルールとかスタイル解説はしません。流石に冗長になるので。

 

 というわけで以下目次です。

0.はじめに

1.ディベート導入面

2.練習コスト面

3.おわりに

 

0.はじめに

 この1年生大会NA vs BP論争は最近になって結構ホットな気がします。

 1年生大会としては例年国内最大規模であった紅葉杯が2018年にNAからBPへ移行し、その後も梅子杯をBPにしようとか1年生大会は全部BPでいいんじゃないかとか、その手の意見を耳にする機会が増えました。

 この記事では、そう言う人達の意見を否定したり、冷や水ぶっかけたりといった意図は皆無ですし、「BP化とか頭おかしいんちゃうか」とか言いたいわけでもないです。その点ご留意の上、燃やさないでください。まぁ「いやBP推進派は流石に生存者/強者バイアスかかってね……?」くらいには頭の隅っこで思ってますが。

 あくまで当記事の目的は、割とホットになっていて、恐らく今後も議論が活発に続くであろうディベートコミュニティの今後について一意見を投げるという、ディスコースへの寄与を目的としています。

 だからこのブログを読んで「○○っていう老害OBがブログで言ってたからNAは正しい!」とか「あんな化石みたいなおっさんの言うこと真に受けんな」みたいな結論をすぐに導かないでください。他人の褌、もといマターでディベートをするな。

 

 

 こんだけ予防線張っておけばいいでしょう。いいですよね?

 例に漏れずあらゆる団体や組織を代表しません。ちなみに私は前述のようにNA派なので、その前提で記事を書きます。要するにお気持ち理論武装です。というわけで誰かカウンターディスコースとしてのBP派のブログ書いてください。よろぴこ。

 

1.ディベート導入面

 ではまず、BPスタイルと比較した際のNAスタイル、並びに1年生大会ラッシュ時のメリットを述べていきます。私見が多分に含まれます。特に私は、「中小大学のESS出身」という若干インターセクショナルなバックグラウンドなので共感できない部分もあると思います。「は?私は中小だけどBP派だが?」「ESSだけど全然BP推進するけど?」みたいなのも全然あると思います。

 

 ・新入生にとってのハードル、高くね?

 ディベートを始めたばかり・これから始める1年生にとって、BPスタイルって中々敷居が高いというか、参入する段階でのフィルターがかなり強くなる気がするんです。

 というのも、NAスタイルが2on2、つまり対戦相手が1チームであることに対し、BPスタイルは4チーム対抗なので対戦相手が(自サイドも合わせて)3チームいることになります。

 これは3チームに対して戦略を練るという技術面もそうですが、3チーム×2人=6人分の英語を聞かなければいけないという言語面のハードルもあります。そういえば「ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい」みたいな名言見かけたことあるんですけど、それなんて言うか知ってますか。ルール違反って言うんですけど。

 というのも、まぁ帰国勢であったり英語/ディベートに対してかなりやる気があったりといった、所謂(まぁこの言い方も本意ではありませんが)ガチ勢にとっては些細な差かもしれませんが、「ディベートってよく分からんけどなんとなく覗いてみるか」みたいな、大学生活で何やるか決めかねてる層からすると何が何やらだと思うんですよ。

 「論題」って時点で既に馴染みがないというか「難しそう」って思うのに、加えてディベートに関して右も左も分からない状況で大量の英語スピーチを浴びるって、全くの初心者というか一部の人からしたら「楽しくない」って思われても仕方ない気もします(これが勝手な一般化のように受け取られていたらすみません)。

 これは実体験ですが、初めて他大学の練習に参加した時、初見でBPのラウンドに放り込まれたんですね。論題もムズいしBPなんて知らないし、とりあえずてんやわんやしてました。僕自身はディベート好きでそこからのめり込めたんですが、そうじゃない人はそういうのをきっかけにディベートに対して苦手意識を持つことも不思議じゃないです。というか弊大学の大半がそういう人でした。

 まぁ、そういう人達にまで新歓を合わせるのかっていうそもそも論もありますが、個人的には多くの人にディベートを楽しんでもらう第一ステップとしては、入り口を広くするっていうのがあると思ってます。というか殺意力53万とか、そういう戦闘民族気質な人は放っておいてもオープン大会という名のゴリラパークにステゴロで乗り込んでいくので特に関係なくね?と感じます。

 

 その点、NAは比較的ハードルが低い気がします。対戦相手は1チームだし、聞かなきゃいけない英語は2人分で済みます。試合時間もそこまで長くないし、結果も勝ち負けの2つしかないのではっきり改善点が分かります。

 

 以前、「NAをやると"議論のテンプレ"が染み付いてしまってエクステンションが出ない」「最初からBPをやらせれば苦手意識を持つということがない」みたいな意見を見かけました。個人的にはうーんって感じです。

 エクステンション出せる出せないは個人の度量というよりエジュケする上級生側の失敗な気がしますし、確かに BPフォーマットから始めれば苦手意識を持つ人の絶対数は減ると思いますが、同時に競技人口の絶対数も減ると思います。

 というより、"BPのエクステンション"は飛び道具というか空中戦っぽいじゃないですか。"オープニングから出てきた議論からエクステンションを出す"って、言ってしまえばなんでもありなわけで、そんな環境に初心者を放り込む方がよほど無責任な気がするんですよ。だって「なんでもあり」の環境で戦えるのって、「どこからがなんでもありなのか」っていうのがある程度分かっている必要があるわけで、つまり"議論のテンプレ(のようなもの)"が頭の中に入っていないとそもそもその土台にすら立てないわけです。

 NA=BPのオープニング、と言うと流石に乱暴すぎますが、議論の土台を構築して証明責任から要求される議論を展開するということに関しては共通する部分もあると思います。

 少なくともそれができるようになる前からBPを導入するのは、目の粗いふるいにかけるようなものだと思います。選民がより一層進む。サファリパークを作ろうと思ったら出来上がったのはゴリラパークだった。みたいなことになりかねない気がします。

 別に競技として「NAの方が簡単」とか言いたいわけじゃありません。「本質的な難易度はさておいて、より多くの人にディベートに関して親しみ・やり易さを感じてもらえるのはBPよりNAじゃね?」ということです。やり込み要素あるファイナルファンタジーとか流行りのオープンワールドゲームより、マリオパーティとかの方が色んな人に好かれるじゃんっていう。知らんけど。

 

2.練習コスト面

 BPで必要な人数(8人+ジャッジ1人)を毎回確保するのって大変じゃないですか。いやこれは1年生大会に限った話じゃないですけど。特に1年生の時期って他のサークルの新歓とかバイトとか勉強とか、所謂学生生活において何に重きを置くのかを決めかねている時期ということもあって、練習に来る頻度が人によってまちまちだったりするせいで練習毎の人数にバラつきが出る、ということが多分に発生します。

 田飼さん方式(オープニングを共有し、クロージングで複数の部屋に別れるやつ)を用いれば半端な人数でもある程度の対応はできますが、それにしてもジャッジの人数問題とかディベーターの問題とか色々あるので、これで全てを賄えるのかっていうと違う気もします。

 だったら無理してBPのラウンドを成立させなくても、NAのラウンドを回して、余った時間をフィードバックに充てれば1年生にとっては「ディベート楽しめた」っていう1実感だけを家に持って帰れるじゃないですか。

 個人的には、以前見かけたインステで取り入れられていた、「プレパ時間を20分にして、1年生はオープニングにアロケ。上級生はクロージング」という練習スタイルは1年生にディベートを楽しんでもらいつつ上級生がBPの練習をする折衷案として非常に良いと思いました。が、結局1年生はクロージングのゴリラ・ライオン・トラ・コモドドラゴンといった猛獣サファリパークからのPOIや反論に曝されるのでこれも完璧とは言いづらいかもですね。

 

 あと、普通にジャッジに要求される技術も、NAよりBPの方が高いと思います。

 また自大学エピソードになりますが、弊大学は自分が現役の時もBPのジャッジができる現役生が(自分含めて)3人くらいしかいなかったんですよ。まぁこれは弊大学がほとんど大会に出ないとか、出不精だったりとかそういう側面もあったのは間違いないんですが、単純な2on2の方が「どっちがどういう理由で勝ったか/負けたか」って分かりやすいと思うんです。これは僕のバイアスなのでそうじゃないって思ったら遠慮なく石投げてください。

 こういう状況下で、まだ他大学に知り合いが少ない1年生の時期にBPに放り込むのって、まぁしんどいです。ある程度知り合いが増えてきて、他大学の練習にも気兼ねなく参加できるようになって、ディベートのあれこれが分かるようになってきたらそりゃBPは楽しいしBP大会に参加するモチベもあると思うんですが、ディベート導入時期にそれやるの?どんくらいのインステがそれを継続的にできるの?っていう。

 

 マジのマジで超個人的な私見を言うと、紅葉杯がBPになるとなった時、僕は「あ、これでウチの1年生が出られる大会が1つ減ったな」って本気で思いました。まぁこれは大学に集まる人柄、あるいは僕ら執行代の失策、たまたまその時にESSに入ってくれた1年生の層等の色んな要因が重なっているのは間違いないですが、BPへの移行によってそういう状況に遭遇する人がいるんだよっていうことは知ってほしいですね。

 

3.おわりに

 後半は愚痴っぽくなってしまったので建設的な議論からは少し離れましたが、個人的に1年生の時期にNAをやるメリットはかなりあると思います。

 要するに、既存の大会をBP化させる必要ってあるの?っていう。

 新しくBP大会を作るのは(スケジュールや会場の兼ね合いから厳しい面もありますが)全然いいと思うんです。KK Cupとかそういう流れで生まれた大会ですし。

 既存の大会は一程度そのままに、コミュニティの多様化に合わせて新しく大会やレクチャーを開く、その方が新規参入者の数を保ちつつコミュニティの発展に寄与できる気がしますね。

 

 

 ここからは超個人的な意見をオブラートに包まず直球150km火の玉ストレートで投げますが、1年生の新歓に関してはグローバルスタンダードとかディベートの本質とか知ったこっちゃないです。新歓は接待だし新歓時期の1年生はお客様であり次の世代を担ってくれる人材育成期間です。その時期から選民を進めるのってコミュニティの首を絞める可能性だってあるんじゃね?と。

 

 みんなで、楽しくディベートしたいですね。

 個人的にはそろそろオフライン大会が恋しいです。

 それでは。

ディベート小噺:学年大会の重要性について

 ども、けろです。

 毎回ここの書き出しが「久しぶりすぎて云々」というくだりになっているの、そろそろ皆さんも飽きてきたと思うしn番煎じの少年漫画みたいになりつつあるのでどうしようかと頭を抱えています。

 いや、「じゃあブログ書けよ」っていう反論がぶっ刺さって串刺しになっているのはその通りなんですが、如何せん飽き性というか気分屋なので、それすら難しいというかなんというか。

 そんなこんなで不定期更新ディベートブログという、ただでさえ母数の少ないコミュニティで読者をふるいにかけるスタイルを今後も貫こうと思います。

 

 というわけで今回のトピックは「学年大会の意味・意義」です。

 一応釘を刺しておくと、知り合いの某あんぱんのnoteと、それに端を発する「学生大会における「学生」の論争」とは一切関係ありません。本記事で取り上げるのは「学年大会」であって、「学生大会」ではないのでまじのまじで1ミリも関係ありません。炎上・延焼の気配を嗅ぎつけてワクワクして覗きにきた方は申し訳ありません。まぁ個人的には競技における参加基準は(他の参加者への公平性の観点から)一程度厳格にするべきだという伏線は置いておきますね。僕は冨樫なのでこの伏線の回収はしません。

 それとは関係ないですが、このnoteに書かれていることはコミュニティに所属する全ての人、これから運営をするであろう人に一度は読んでもらいたい文章です。包括性と排他性は表裏一体であるということ、忘れてはいけません。

note.com

 

 話が明後日の方向にいきましたが以下本題です。

0.はじめに

1.コンフォートゾーンとしての学年大会

2.オープン大会の「ルーキーカテゴリー」との違い

3.「学年大会」の参加資格はどうあるべきか

 

0.はじめに

 多分これを言っておかないと揚げ足をとることに命をかけ、お気持ちをロジックで武装した人に燃やされることが予見されるので今一度「学年大会」と「学生大会」の違いを述べておきます。

 前者は銀杏杯や紅葉杯、ジェミニ杯といった、「参加資格として大学の年次・ディベート歴が基準となる大会」のことを指し、後者は「参加資格として学部・大学院等への在籍といった、"学生"であることが要求される大会」のことです。春Tや秋T、東映杯や凌霜杯が挙げられるでしょうか。多分BP Noviceはこの中間くらいの位置付けの大会だと思います。

 それを踏まえて、今回触れるのは前者の方です。1年生大会である銀杏杯や紅葉杯やKK Cup、2年生大会のジェミニ杯のことです。後者に関してはきっと誰かが記事にしてくれると思うのでとりあえず放置します。

 ※と思って筆を進めていたらリアルタイムで某あんぱんが続きのnoteを公開してたので慌てて遡ってリンクを貼っておきます。

note.com

 

 

 まぁ今回なんでこの記事を書くことにしたかというと、時折ディベート界で議論になるんですよ、学年大会存廃が。

 廃止側の意見も分からなくはないけど、個人的な結論を言うなら「ロジカルだけどエシカルじゃないし、それをやったらコミュニティの衰退が目に見える」から反対です。

 というわけでここから先は「学年大会賛成・存置派のOBがなんか好き放題言う」内容となります。言う必要はないと思うけど、特定の団体とか所属とかそんな感じのあれやこれやを代表するわけじゃないです(てかこれって代表する時だけ言えばいいですよね、知らんけど)。

 

1.コンフォートゾーンとしての学年大会

 皆さんは「学年大会」と聞いて真っ先に何を思い浮かべますか。

 僕は「コンフォートゾーン」という単語が真っ先に浮かびました。横文字カッケーしたいわけじゃないので、適当に「オアシス」「野戦病院」「町内会」とか好きな単語で置き換えてください。

 

 要するに1年生大会や2年生大会って、「他の学年(≒上級生)から完全に自由な空間」なんですよ。普段部活でデカい顔してクロージングからボコボコにしてくる先輩も、DLOからメインマターとメカニズム5個出してGWをパンクさせる先輩も、負けつけた途端噛み付いてくる奴もいない空間。ちなみに僕はこれを書いていてブーメランで胴体微塵切りになりました。今度見かけたらバターソテーにしてください。

 これ、競技を始めたばかりの1年生とか、(この言葉を使うのは本意じゃありませんが)エンジョイ勢とかにとってめちゃくちゃ大事だと思うんですよね。

 というのも、やっぱり大会でつえー上級生とかOBOGとかにボッコボコにされるのって普通に怖いししんどいじゃないですか。よくわかんない上級生がいきなりPOIに立ってくる恐怖心とか、社会人n年目のすごそうな人がガンガン反論してくるのとか。

 別にそれをするな、と言ってるわけじゃないです。そのためにオープン大会がありますから、誰であろうとぶっ殺すみたいな、殺意ゲージがトリコ終盤の捕獲レベルみたいに高い人は是非そちらで狩猟を楽しんでほしいし。

 

 そうではなくて、「ディベートは好きだし大会に出てみたいけど、知らん上級生とかが重装兵が跋扈している戦場で己の命を曝け出す闘争はちょっと…」みたいな学生にとって、この「上級生から自由な空間」というのはのびのびとディベートできる貴重な場だと思うんです。

 これを「ディベート実力主義だろ」とか「嫌な辞めろ/強くなれ」とか平気で言っちゃう人は、個人的には二度とディベート中にvulnerable peopleの話をしてほしくないですね。英国議会を模したとは言っても舌の枚数まで真似ろとは言ってないので。

 

 ディベートコミュニティの競技人口を増やしたいのであれば、多くの人にディベートという競技を楽しんでもらいたのであれば、こういうコンフォートゾーンは残すべきだと思うんですよ。だって実力主義を謳っているスポーツ界だって新人戦はあるわけだし、いわば「登竜門」「入門編」くらいの位置付けを置いておく方が大会参加の敷居は低くなると思うんです。

 

 あとは単に、同じくらいのディベート歴を持つ同期達の中で一番になりたいという、最強決定戦としての競争促進の意味もあると思います。

 

 

2.オープン大会の「ルーキーカテゴリー」との違い

 ここまで読んでくれた物好きな方の中にはきっと、「でもそれってルーキーカテゴリーで代替できるんじゃね?」と思った方もいると思います。

 個人的にルーキーカテゴリーと学年大会は決定的に違うと思っていて、それが以下の2点です。

a)やっぱり上級生怖いよ

 いや普通に怖くないですか。

 競技を始めた最初から驚きの胆力と殺意を持ってる人は別にいいんですけど、ディベート始めたばかりで右も左も分からん人達の前に突然「私のディベート歴は53万です」「社会人4年目(クアトロ・シャカイジン)、エルダリー・ピープルだ」「うるせぇ!ディベートしよう!(ドンッ)」みたいな輩が立ちはだかったら僕だったら普通にキレます。

 

 というのも、このルーキーカテゴリーというのはあくまで「オープン大会内部に併設されたシステム」で、このカテゴリーにたどり着くためには予選ラウンドで上級生と殴りあわないといけないんですよ。しかもタブの仕様上、R1でもし上級生同士が当たるとR2の1敗ラウンドに上級生が落っこちてくるという、パズーもびっくりも展開になるわけです。

 隙あらば自分語りをするんですが、僕の大学は所謂中小大学というやつで、部員のモチベもかなりバラついていました。モチベ高い数人はオープン大会に出たりするけど、そうじゃない人はあくまでエンジョイしたいって思っていて、そういう1・2年生にオープン大会を勧めても「いやそれはちょっとハードルが……」みたいな反応が返ってきました。銀杏杯や梅子杯に出てくれることは多かったので、やはりこういう機会って大事なんだなと。

 

b)大会によってルーキーの基準が違うよ

 これも結構重要だと思っていて、オープン大会も大会毎に基準が違うんですよ。

 例としてJBPを挙げると、年によって「1年生ペアだけ」が対象だったり「1年生と2年生チーム」も対象だったり、2020年に関しては「主要なメジャー大会に出てなければNovice」だったりと、同じ大会でも結構違ったりします。大会が違えばこの基準も変わってきます。

 別にこれ自体に批判をするつもりはまじで毛頭なくて、好きにすればいいと思っています。

 が、これを前述のようなディベーターに当てはめると結構しんどいんですよ。

 「Noviceカテゴリーだ!」と思っても蓋を開けてみたら「ゴリゴリに強い2年生」「メジャー大会経験してない社会人」とかが同じカテゴリーにいたりするので(繰り返しますがその制度やそれを利用する参加者自体はまじで批判してないです。まじで)。

 

 まぁ学年大会も最近は変遷してきているというか、高校での経験者とか帰国勢とかも増えてきたりしているのでこれは程度問題な気もしますが、それでも「同期であることによる一種の安堵感・納得感」はあると思うんですよ。

 

 だから「空間そのものが上級生から隔絶されている場」としての学年大会はやっぱりあった方がいいよね、って結論です。

 

 

3.「学年大会」の参加資格はどうあるべきか

 ただこれもコミュニティ変遷の弊害というか課題というか、ひとえに「学年」と言っても単純に「大学の年次」で判断していいのか、という問いが残ります。

 2年生からディベートを始めた所謂「2フレ」はいきなりオープン大会に放り込まれてしまうことになってしまうし。

 ただ、やたらと裾野を広げればいいのかと言えばそれも違う気もします。1年生大会に「強い高校生(1年生からディベートをしていて今2年目)」の参入を認めると「学年大会とは」みたいな問答が始まってしまうし、それは本来あった「コンフォートゾーン」の破壊に繋がりかねないか、とも思うし(別に高校生を締め出せ、というわけじゃないです)。

 

 個人的な妥協点というか、一定の公平性を保てるのはやはり「ディベート歴」なのかなと思います。高校生大学生問わず一律に「ディベートを始めた時点」を起点として、大会開催時での年数で線引きする。経験年数が実力に直結するわけではないというのは悲しくも僕自身が例証なのですが、それでも一定の相関はあると思うので。

 あとは今年の銀杏杯や梅子杯が導入したように、「ディベート歴で参加資格を規定するけれど海外経験年数/高校でのディベート歴の有無で本選ラウンドのカテゴリーを細分化する」という絡め手も、包括性を担保しながら「学年大会」の枠組みを崩さないようにしている例として非常に素晴らしいと思います。個人的にはポケモンダイパ世代としては銀杏杯のカテゴリー名は大好きです。

 

 ここに関する議論は、今後競技ディベートが普及していく中で常につきまとってくると思います。今は中学生からディベートを始める人もいるし、そういう人が仮に大学入学まで続けていた場合入学時点でディベート歴が6年、みたいなことになるので。

 つきまとってくるということは、コミュニティとしても大会を運営する側としても、この問いには必ず向き合わなければいけないとも思います。参加者に対して一定の公平性を担保するというのは運営の責務ですし、ここから逃れることは競技の根本を崩壊させることに繋がるので。

 

 これはSNSでも呟いたことですが、"包括性"というのは突き詰めれば"特定の人にとっての排他性"と同義になるし、何でもかんでも"多様性"という言葉でパッケージするにはあまりに複雑な問題だと思います。

 という月並みな文で締め括ります。

 それでは。

【考察】七つの大罪と童話竜【BURN THE WITCH】

 

 ども、けろです。

 そろそろブログ更新しろよ、という天の声を聞いた気がするので、いい加減更新します。

 が、今回はいつものようなディベート記事ではなく、大きく脱線した漫画の考察記事です。

 というのも、長年マンガオタクをやっている身としては好きな作品は考察とかをするんですが、それを世の中に出す機会や場がないなと思ったので。どう考えてもこのブログでそれを綴るのは間違っている気もするんですが、まぁ僕のブログなので好き勝手やります。多分いずれおすすめの漫画記事とか書きます。

 

 というわけで今回は、タイトルにもあるように週刊少年ジャンプで短期集中連載された久保帯人先生(以下師匠)の新作、BURN THE WITCH(以下BTW)の考察記事を書いていきます。

 一応軽くネットで調べてみたんですが、自分と似たような考察記事を書いている人はいなかったので大手を振るってデカい顔で記事を書きます。

 

 BTWについて知らないよ、という方は以下のリンクから2018年の読み切り版が読めるので是非ご一読ください。また、ジャンプの公式アプリからジャンプのバックログが購入できるほか、10月2日に単行本1巻が発売になったので、気になる方は読んでみてください。

 

 

 また、久保帯人作品に関しては既にガチの人がとんでもない文量の考察記事を書いているので、そちらも合わせて見ていただけると嬉しいです。当然 BTWの記事も書いてます。

hoasissimo.hatenablog.com

 

 この人の考察のヤバさは、作者と会えるサイン会で作者直々に「BLEACHをあそこまで理解できてるの、読者だと君しかいないんじゃない?」と言わしめるほどです。

 

 前置きはこれくらいにしておいて、そろそろ本題です。以下目次です。

 

七つの大罪と童話竜」

 0.はじめに

 1.童話竜の成り立ちと七つの大罪

 2.シーズン1の描写から見る「嫉妬」との符号

 3.文化的背景

 4.童話「シンデレラ」との符号

 5.BLEACHとの対比

 

0.はじめに

 まず本考察を書くにあたり、以下の仮説を提示させていただきます。

 

仮説:BTW作中に登場する童話竜(メルヒェンズ)は七つの大罪をモチーフにしている

 

 作品をさらっと読んだだけの方、未読の方に「童話竜」について軽く触れておくと、BTWの物語の舞台となる「リバース・ロンドン」の誕生以前から存在すると言われる、童話になぞらえて名付けられた七頭の竜のことです。

 それぞれ『スノーホワイト』『レッドドレス』『ゴールデンアックス』『バブルズ』『シュガーハウス』『バンド・オブ・アニマルズ』『シンデレラ』の名がつけられています。

 文字情報だけだと分かりづらいのですが、本編に描かれていた背景から読み取るとそれぞれが『白雪姫』『赤ずきん』『金の斧』『人魚姫』『ヘンゼルとグレーテル』『ブレーメンの音楽隊』『灰かぶり姫(シンデレラ)』がモチーフになっています。

 それぞれの物語についての概要はここでは割愛します。

 

 本仮説は、これら七頭の竜のモデル/モチーフとして採用されているのがキリスト教圏(とりわけカトリック)の「七つの大罪」ではないのか、というものです。

 七つの大罪についての詳細は以下を参照ください。

 厨二の方には馴染み深いですね。「傲慢」「憤怒」「怠惰」「色欲」「強欲」「嫉妬」「暴食」の七つです。

ja.wikipedia.org

 

1.童話竜の成り立ちと七つの大罪

 さて、仮説を立証するにあたり、作中の描写からそれらしき根拠を引っ張ってこようと思います。

 童話竜については伝説上の御伽噺という側面が強く、ほとんど神話のような存在となっているので設定に関する情報そのものの開示が少ないのですが、魔陣隊長官ブルーノ・バングナイフの発言にそれらしきものがありました。

 

 根拠①:童話竜は「ダークドラゴンの始祖」と呼ばれている。

 

 ブルーノは童話竜の一頭、シンデレラと対峙した際に以下のように述べています。

 「童話竜(メルヒェンズ)、ダークドラゴンの始祖、邪竜指定、永久討伐対象、存在不詳の人類の敵」

 このセリフを正しいとするならば、「作中で登場するあらゆるダークドラゴンは童話竜が原点となって生まれた」ということになります。言うなれば全てのダークドラゴンの生みの親が童話竜というわけです。

 

 根拠②:ダークドラゴンは人間の負の感情を吸収して生まれる。

 

 ここでダークドラゴンの成り立ちについても触れておきます。

 まず通常のドラゴン(ダークドラゴンと対比する形でこちらはライトドラゴンと呼ばれています)は、恐らくですが死した人間(あるいは動物)の魂が転じた姿です。BLEACHの霊における整(プラス)と虚(ホロウ)と関係性と類していると思われるので、これはほぼ間違いありません。

 BTWの読み切りではダークドラゴンの発生として、「ドラゴンは、人間に接触すると徐々に人間の持つ負の感情を吸収し、人に害為すダークドラゴンとなる」という設定がナレーションで明かされています。読み切り版ではキャラクターの一人、バルゴの「(主人公である女性キャラの)パンツを見たい」という欲望を吸収してダークドラゴンに転じていました。

 つまり、ダークドラゴンは人間の負の感情を吸収して生まれる、というのは確定情報です。

 

 ここで根拠①と②を照らし合わせます。

 童話竜もまたダークドラゴンの一種(≒原種)であり、そのダークドラゴンは人間の負の感情を吸収して生まれる。つまり童話竜もまた人間の負の感情を吸収した結果生まれるということです。

 これを一つの結論として覚えておいてください。

 

 根拠③:負の感情・欲望の原点は「原罪」あるいは七つの大罪である。

 

 カトリック圏では、人類の祖であるアダムが神に対する不従順を働いたことを指して「原罪」と呼びました。

 ここでは省きますが、要するに蛇から唆されて自身の欲求・自由を行使し、結果としてアダムとイヴは楽園を追われることになった、ということです。

 また同様にカトリック圏では人間を罪に導く可能性があると見做される欲望や感情のことを指して「七つの大罪」と呼びました。

 これは人間の根源的な欲求であり欲望であり、ある種「負の感情」と呼べるかと思います。「嫉妬」は他者に向けられる羨望の感情であり、「強欲」は他人の物であろうと欲する欲望です。「傲慢」は驕り高ぶって他人を見下す優越感であり、「怠惰」はすべきことから逃れたいという逃避感情です。

 要するに人間が生きていく上で抱く欲求の根源こそが「七つの大罪」であり、この欲求こそが人間を堕落させる要因である、ということです。

 この結論と、先に述べた結論を組み合わせると、以下が導かれます。

 

 人間の根源的な欲求・欲望は七つの大罪であり、負の感情を吸って生まれるダークドラゴンの始祖である童話竜は、その感情を反映した生き物である。

 

 つまりダークドラゴンは、アダムとイヴの失楽園によって(≒人間が感情・欲望に従って行動するようになった結果)生まれるようになり、最初に生まれたダークドラゴンこそが童話竜なのではないか、ということです。

 

2.シーズン1の描写から見る「嫉妬」との符号

 上述の仮説を裏付ける根拠の一つとして、BTWシーズン1のストーリーの根幹であるメイシー・バルジャーとエリー(メイシーがシンデレラに名付けた名前)の関係性が挙げられます。

 

 世間で人気絶頂の女性グループ「セシルは2度死ぬ(セシル・ダイ・トゥワイス)」のメンバーであったメイシーはある日突然グループを脱退し、ある日道端でドラゴンの幼体を発見して育てることを決めます。このドラゴンこそがシンデレラでありメイシーを虜にしたキャラクターです。

 

 このメイシーという人物は、自らのことを「持たざる者」と思っていて、常に「特別な何か」になりたいと思っているキャラクターでした。グループに入って活躍しても「あたしだけホントの自分じゃなくて」と卑下しており、常に自分だけの居場所・役割を探していました。

 そんな中出会った、「自分にだけ見えるドラゴン」を見つけた彼女は、自分が「特別になった」と思い込みます。実際それは外的要因の出現による一種の幻想だったわけですが、彼女は自らが望んでいたものを手に入れたわけです。

 また彼女は、主人公の一人であり「セシルは2度死ぬ」のリーダーであるニニー・スパンコールともう一人の主人公新橋のえるが会話しているのを見て「(のえるに対して)あんた誰よぉ!なんでニナちゃんの横で親友みたいなクチきいてんのよおおお!」と怒りを発露しており、それを見たニニーも「あたしが女と仲良くしてるといつもこうなの…」と溢しています。

 

 これらの描写から、メイシーは「特別に見える他人に対して常に羨望の眼差しを向けており、自分が所有する(と思っている)特別なものから他者を遠ざけることで自分自身が特別になりたい」という像を表現する人物だと言えます。そしてこれは、七つの大罪の一つである「嫉妬」の要素を十全に満たす要素であるのです。

 

ja.wikipedia.org

 

 ここで前述の結論に戻ります。

 先の結論で、私は「人間の根源的な欲求・欲望は七つの大罪であり、負の感情を吸って生まれるダークドラゴンの始祖である童話竜は、その感情を反映した生き物である」と述べました。

 ここにメイシーの「嫉妬」という要素を当てはめて見ると、童話竜の一頭であるシンデレラを生み出したのはメイシーの負の感情であり、その感情とは七つの大罪の一つである嫉妬である、という新たな結論が導き出せます。

 

 ここで一つの疑問として、「シンデレラの幼体がメイシーの感情に惹かれて目の前に現れた」のか「ドラゴンの幼体がメイシーに触れていく過程でシンデレラに成った」のかという問いが浮かぶのですが、どちらなのかは分かりません。

 ですが読み切り版のバルゴの負の感情に触れて成長したダークドラゴンが「パンツ見せて」という人語を発した描写から考えると、ドラゴンは生まれた時の姿形から人間の感情に触れることで別の姿へと変貌する、のではないかなと思います。こればかりはあまりに描写が少なく推測の域を出ませんが。

 

3.文化的背景

 ここまで書けばもうほぼ結論づけられている気もしますが、ダメ押しです。

 物語の世界観としては西洋、特にロンドンを舞台にしています。わざわざ「フロント・ロンドン」「リバース・ロンドン」という世界を描いていることからも、この「ロンドン(≒イギリス)」という土地の設定にも何かしらの意味があるのでは、と勘繰ってしまいます。

 私はイギリス文化史に精通しているわけではないので読者の中でここら辺に詳しい方がいたら教えていただきたいのですが、イギリスといえばイギリス国教会が思い浮かび、ローマ・カトリックから分離したのがこの国教会です。ここからクェーカー等のプロテスタントが分離していくわけですが、ここで重要なのは大枠としての「イギリスに根ざしていた宗教観はカトリックである」という点です。

 そして、七つの大罪は主にキリスト教西方教会、主にカトリックで使われる用語である、ということを踏まえると、やはり物語の根幹にはカトリック的価値観である死生観や宗教観が関わっているのではないでしょうか。

 ここに関しては詳しく調べる機会と時間があれば追記していきたいと思います。

 

ja.wikipedia.org

 

4.童話『灰かぶり姫』との符号

 さて、この項は本題とは関係ないのですが、メイシーの描写が、童話『灰かぶり姫』の主人公の人物像と符号する、という点にさらっと触れたいと思います。

 

 メイシー:自分にないもの・他人から与えられたもの(=グループ、エリー等)を自らの側に置いておきたい、それによって自分が「特別」になったと思っていたが、エリーは自分の手元から離れてしまったしグループも自分の居場所足り得なかった。

 灰かぶり姫:魔女(=他人)によって与えられたドレスや靴、かぼちゃの馬車を使って王子と出会い、自分を「特別」にしたが、魔女が掛けた魔法は12時になると解けてしまった。

 

 作中でニニーが「魔法が解けてしまうのは、それが自分の力じゃないからよ」とあまりにかっこいい言葉を吐いていますが、これはやはりシーズン1のストーリーとして「自らの力で勝ち取ったニニーと、他者から与えられたものに居場所を見出そうとしたエリー」を対比として描いたのだと思います。

 そうした意味でエリーは現代の灰かぶり姫であり、童話の『灰かぶり姫』のストーリー・キャラクター設定を踏襲して現代版に作り替えた、と言えるでしょう。さすが師匠です。話作りがあまりにもうますぎる。

 

5.BLEACHとの対比

 本題である七つの大罪との関係性へ戻ります。

 ここでは師匠の前作BLEACHに登場するとある敵組織の設定を、本仮説を強化する論拠とできるのではと思ったからです。

 BLEACHの第三章破面篇で登場する破面(アランカル)の幹部格「十刃(エスパーダ)」の前身である「刃(読みは十刃と同じくエスパーダ)」です。

 「十刃」は殺戮能力に優れた十体の破面を選抜したものですが、「刃」は七体の破面から成り、それぞれが七つの大罪を冠していました。

 ヤミー・リヤルゴ:憤怒(解放名「憤獣(イーラ)」の日本語訳は「怒り」)

 ザエルアポロ・グランツ:色欲(解放名「邪淫妃(フォルニカラス)」の元の語句はfornicación、意味は「姦淫」)

 バラガン・ルイゼンバーン:傲慢(解放名「髑髏大帝(アロガンテ)」の日本語訳は「傲慢」)

 アーロニーロ・アルルエリ:暴食(解放名「喰虚(グロトネリア)」の日本語訳は「大食」)

 このことから、初期の設定としてエスパーダは七つの大罪を模しており、BLEACHの隠れた裏設定の一つです。

 

 ではなぜここでBLEACHの設定を引っ張ってきたのかというと、BTWの世界がBLEACHの世界と地続きであり、設定の随所にBLEACHとの対比があるからです。

 例えば「ダークドラゴン」と「虚」、ドラゴンを保護・管理する「魔法使い・魔女」と、霊魂を保護・管理する「死神」。

 魔法使い・魔女の力の源である「魔力」と死神の力の源である「霊力」。

 魔力を元に発動する、ナンバリングされた「マジック」と霊力を消費して発動する「鬼道」。

 「フロント・ロンドンとリバース・ロンドン」という別世界と、「人間界とソウルソサエティ」という別世界。

 ソウルソサエティを守護する護廷十三隊と、リバース・ロンドンを守護するウィング・バインドもそうですし、物語の設定の随所にBLEACHとの対比関係が見られるわけです。あとはBLEACHでも星座モチーフの設定(浮竹隊長の双魚理、阿散井恋次の双王蛇尾丸等)が見られますし、それはBTWのウィング・バインドにも見られます。

 

 このことからも、BLEACHで既に登場している七つの大罪モチーフの敵幹部の対比として、BTWでも同様のモチーフが用いられた敵が登場することもまた自然の道理として考えられるわけです。

 

 

 以上のことから、「BTWに登場する童話竜は七つの大罪をモチーフにしている」という仮説の立証を終えたいと思います。

 また、現時点(2020/10/08)でBTWはシーズン2の連載が決まっており、開発隊(パッチワークス)にスポットが当たることが分かっています。

 個人的な予想としては、「知的好奇心のある研究者」と親和性のある「強欲」を冠した童話竜が出てくると熱い展開ですね。童話だと『金の斧』が該当するでしょうか。

 まぁこれに関しては完全に妄想と想像の域を出ないので、大人しくシーズン2の連載開始を待とうと思います。

 

 

 それでは。

 次は多分ディベートに関する記事を書くと思います。多分。

ゼロから始めたディベート史Ep.8『模索の1年』

 ども、けろです。

 どうやら前回のブログ更新から1ヶ月経っていたようです。

 「コロナ期だし普段と違うことするぞ」と意気込んでいた5月のやる気はどこへいったのか、6月は気付いたら溶けていました。2020年がもう半分終わったってまじですか。明日から後半戦が始まるっていう現実、ちょっと何言ってるかわからない。っていってたら多分12月くらいになるんですよね、毎年のことですが。

 

 この私的ディベート史、去年の3月くらいに書き始めたんですよね。自分でもまさか1年以上もかかるとは思ってもいませんでした。残念ながらまだ終わりませんが……。

 というわけでEp.8です。予定ではEp.9で終わりますが、1回分寄り道をする予定なのであと2回で終わります。もうちょっとだけお付き合いください。

 

 

 以下目次です。

 

Ep.8:院2年春〜冬

『模索の1年』

0. はじめに

1. 後輩との挑戦

2. 芸人脱出

 

0. はじめに

 最近コロナの影響で、世間はすっかり様変わりしましたね。どこにいってもマスク着用が必須だったり、入場制限があったりと、経済も生活も、ガラッと一変してしまったのを見ると驚きますが、同時に社会全体の力強さみたいなものも感じます(KONAMI)。

 自分が働いている業界も大きな影響を受けましたし、ここからが正念場というか、色々と再構築していく期間だと思います。

 ディベート界も同様に、後期になると大学側もオフラインでの講義を再開したり、施設の貸し出しもできるようになると思います。

 せっかくこれだけオンラインディベートが普及していますし、オンライン大会も引き続き、と思いますが、やっぱり個人的にはオフライン大会の「熱量」も恋しいので、少しずつオフライン大会も開催できればな、と感じています。

 まぁ私自身はもう大会運営からは遠のいた身ですので、現役の方々が作っていくこれからのディベート界を見守りながら、うまく環境に順応できればと思います。

 

1. 後輩との挑戦

 さて、季節は前回の院1年の冬〜春から数ヶ月、院2年の5月。

 個人的にはこの時期が一番忙しいというか、充実していました。というのも5月の頭に大学院での研究計画書の提出があって日夜あぁでもないこうでもないと研究室で頭を抱えながら、同時進行で就職活動を進めていて、その合間を縫う形でディベートをしていたからです。

 当時の自分は何を血迷ったのか「就活で一時的におやすみする」という選択肢を横浜湾に投げ捨てたようで、就活シーズン真っ只中にも3/5の大会に出るという暴挙に出ていました(前回記事のディベートのすすめ、The関西、今回のNDOです)。

 これはこのブログを読んでいる方への教訓なのですが、絶対に真似しないでください。大会終わりの2日後に大事な企業の二次面接があるとかどう考えても体力と精神面に負担がかかるので。

 

 5月中旬に名古屋で開催されるNDOに青学とICUの後輩と参加してきました。今働いている会社の面接を数日後に控えた中での大会、ヒリヒリ感がタマラネェ()。

 普段から(今も)仲良くしている青学の後輩と、話してみたいなぁと思っていたICUの後輩との大会は、練習期間からめちゃくちゃ楽しかったです。練習頻度も結構密に組んで、通話練習やプレパ練も重ねて挑んだので、結構手応えがあるチームだったなと思っていました。

 前日の金曜日に名古屋に乗り入れて、提供ジャッジを引き受けてくれた(これまた仲良しの)学習院の後輩と4人で名古屋飯を食べて、エアビーの宿でワイワイして。遠征大会の良さをぎゅぎゅっと詰め込んだ感じがして感無量でしたね。

 

 大会の結果としては2勝2敗、バブルでのブレイク落ちでした。

 先輩としてチームをキャリーできなかった不甲斐なさと悔しさは、いつ味わっても苦いものです。キャリアの大半が後輩と大会に出ていた自分にとってはいつものことかもしれませんが、それでも自分を慕ってくれる後輩と練習して、目標を設定して挑んだのにそれが達成できないというのは、やっぱりしんどいです。

 セルフブレイクナイトで入った居酒屋、世界の山ちゃん手羽先を食べながらそんなことを考えていました。

 「頑張ったんだから結果が伴わなくてもいい」というのはある種正しいというか、大切な考えです。目の前の結果に執着せず、その過程を重んじながら次の目標に挑戦するというのは、大会が多く開催される日本のディベートサーキットではどこかに留めておきたい価値観だとも思います。「結果が全て」と、それまでの過程を蔑ろにするようなことはしたくないですし、「結果至上主義」に陥っている後輩には励ましの言葉をかけたいと思っています。

 ただそれでも、割り切れないモヤモヤ感みたいなものは残ります。

 特に院2年ともなれば、キャリア6年目になります。経験年数と実力が直接的な相関はないというのはわかっていますが、それでもどこかで「もう◯年目だしな……」という自責の念も山積します。ブレイク落ちには慣れていますが、後輩と出る大会で結果を残せないと、彼ら彼女らに要らぬ罪悪感を与えてしまうのではないかと思ってしまいます。引っ張れなかったのは自分の責任なのに、「◯◯先輩をブレイク落ちさせてしまった」と悩ませてしまうのは、結構しんどいものです(そもそも自分はその域に達するほどの実績を残していませんが)。

 

 というのを、数ヶ月後のQDOでも味わいました。

 5月のNDOで提供ジャッジを引き受けてくれた学習院の後輩と組んで出場し、バブルまでいってブレイク落ち。そこそこ練習していたし、仲の良い後輩との遠征で気分も高まっていたので、その大会で結果を残せなかったのはやっぱり悔しかったです。

 勝った大会はもちろんですが、負けた大会ってめちゃくちゃ記憶に焼き付くんですよ。どのサイドで誰が相手で、どのモーションでどんな話をしたかまで、結構鮮明に。

 

 でもやっぱり、遠征大会はクッッッッソ楽しいです。チームやジャッジ、仲の良い人達と前入りして現地のうまい飯食べたり観光したり、大会終わりに居酒屋でどんちゃんしたり。それに結果が伴えば最高って話ですね。

 QDOも、金曜日に前入りして(トレイニージャッジとして参加しにきていた)青学の後輩と一緒に福岡観光したのもめちゃくちゃ覚えてるし、楽しかったです。

 

2. 「芸人」脱出

  そんなこんなで、2018年の院2年のキャリアは下火というか低空飛行というか、今一つパッとしませんでした。

 大阪府立大の先輩と組んで出場したJBPもバブルでブレイク落ちで、分かりやすくいうなら「スランプ」というやつなのかもしれませんが、それってそもそも結果をバンバン残している人がパタリと結果を残せなくなることを指すのかなぁと思うとそれも適切な表現じゃない気がして、単に自分の実力が常にブレイクとブレイク落ちの当落線にい続けているだけなんだなぁと。

 バブル落ち芸人、もといQF芸人(*1)として彷徨っていた自分は、学生最後のBP大会を、と意気込んで神戸で開催された神戸牛争奪戦、凌霜杯に出場しました。先述のQDOで一緒に福岡観光した青学の後輩とのチーミングでした。

 

 

 自分にとってこの大会は、とても複雑な思いを抱く大会でした。めちゃくちゃ好きな大会ですが、2回のリザーブドブレイク、1回のQF負けと、芳しくない結果が付き纏っていたので(じゃあもっともっと練習しろよという話ではありますね)。

 

 この大会のパートナーとは同じ年の6月頃にPhilosophy Openに参加して大敗を喫していたので、そのリベンジも兼ねての出場でした。

 前述の2大会同様、そこそこしっかり練習し、プレパも合わせていたので「やれるだけやったろう」という自信のようなものもありました。

 

 

 

 結果は17th Break(1チームがブレイクラウンド出場ができなかったので)、SFでした。

 ブレイクアナウンスメントを神戸の串カツやで仲の良い後輩達と見ていた時、自分たちのチームロゴが出た時は反射的に飛び上がって大声を上げてしまいました。居酒屋の他のお客さん、店員さんまじでごめんなさい。

 久しぶりのQFはめちゃくちゃ緊張したけど、同じ宿の後輩達が自分たちのケースに大袈裟なくらい頷いてくれたり、パートナーがここ一番の良いスピーチをしていたりと、まじで楽しかったです。だから結果発表で自分たちのロゴが残ったのはブレイク発表と同じくらい嬉しかったし、年甲斐もなく飛び上がって叫びました。

 久しぶりのブレイク、(BP大会としては初の)SF進出と、嬉しさが波のように襲いかかってきて、感無量を極めていました。おまけにそれを自分のことのように祝ってくれた中小の知り合いが本当に嬉しかった……。

 

 

 

 加えてこの大会、パートナーにとっては初めてのブレイクで、おまけに(所属する部活生活)最後の大会でした。そこに自分が関われたこと、そしてその結果に寄与できたことが何よりも嬉しくて誇らしくて、帰りの新幹線までずっと温かな気持ちでいられました。

 

 そんなこんなで、院2年目の前半は思ったような結果がついてこなくて、後半になってやっとそれが実績に繋がった、というなんとも上下が激しい1年でした。

 

 院2年の12月ということもあり、ここから自分は迫る修士論文の締め切りとの血で血を洗う戦いを繰り広げることになるのですが、それはまた別のお話。

 学生キャリアも残すところ数ヶ月。

 最後までお付き合いください。

 

 

 

 それでは。

 

 

 

*1:2017年のNDOで一度だけSFに進出したことはありますが、それ以外のブレイクした大会では全てQFで負けてしまっていたので、自分のことをこう呼んでいました。 

ディベート小噺:Kansai Pro-Am Challengeにお邪魔してきた話

 どうも、けろです。

 世間では某ウイルスが猛威を振るい、外界からはすっかり人がいなくなりました。飲食店は閑散とし、公共交通機関はガラガラになりました。自分の職場も大きく打撃を受けていて、そのせいで現在7連休という前人未到の領域に突入しています。

 外に出られない連休というのは精神衛生にとって最悪で、自炊→掃除→YouTubeTwitterの無限ループに囚われながら徐々に心が廃人になっていくのを感じています。

 というのを少しでも払拭しようと思い、とりあえずブログ更新で気を紛らわせようと思います。

 というわけで、先週末にひっっっっさしぶりに大会に参加してきたのでその感想等をつらつらと書き綴ります。生産性はないです。

 以下目次です。連休続きで脳が溶けているのでいつにも増して語彙が終わってます。

 

0.はじめに

1.オンラインディベートすごい

2.Pro-Am形式の大会良い

3.地域/小規模大会は良い

 

0.はじめに

 先週末(5/16,5/17)に関西主催で開催された大会、Kansai Pro-Am ChallengeにAIUDSの2年生の後輩とお邪魔してきました。なお大会名は多分オフィシャルのものではないので、人によってDebateとかChallengeとか色んな言い方してます。僕はChallengeと呼んでます。

 2日目は仕事の都合で参加できず、1日目だけの参加となってしまったのは運営・パートナーに申し訳ない限りですが、去年のJapan BP以降半年ぶりとなる大会はとてもとても楽しかったです。

 一応モーションを以下に貼っておきます。ちなみにこのブログでは解説等を書く予定は一切ないです。

R1
Theme
ゆるふわ Yurufuwa
Info
Distrustful:
If you are distrustful of someone or something, you think that they are not honest, reliable, or safe.
THBT schools and parents should teach children to be distrustful towards adults.

 

R2
Theme
Speaking of Masao... CJS!!Info
Community sentencing combines punishment with activities carried out in the community other than prison.
Requirements under community sentencing can include but not limited to the following conditions;
・unpaid work for a fixed amount of time (e.g. cleaning town for 200 hours within the term of the sentence)
・undertaking a particular program to help change offenders' behavior (e.g. alcohol /drug treatments, back to work programs)
・regular report and communication to appointed person (e.g. social worker/state authority)
・spatial requirements (e.g. prohibiting access to a certain place at a certain time)
Community sentencing may or may not coincide with the continuation of offenders' original residence/occupation.

THW abolish prison and introduce community sentencing as a means to punish criminals.

 

R3

Theme

This is IR by Masao

Info

The term integrated resort (IR) is used to describe a major resort property that includes a hotel with casino, together with convention facilities, entertainment shows, theme parks, luxury retail, and fine dining.

TH, as a developing country, S creation of Integrated Resort in an economically depressed area.

 

R4
Theme
Favoritori (Tori's favorite)

THO organized religion.

 

GF
Theme
Narratibird (Tori likes narrative motion)

THR dominant emphasis on the importance of 'logics' and 'rationality' in political/social discourse.

 

1.オンラインディベートすごい

 巷ではすっかり定着しつつあるオンラインディベートプラットフォームmixideaですが、実は私は今まで触れたことがありませんでした。まぁ単純に最近社会人がディベーターとして出場できる大会がなかったということと、一応社会人生活がそれなりに忙しかったということもあり、「なんか便利なアプリケーションがあるらしいなぁ。しらんけど」みたいな感覚でした。

 パートナーが秋田在住ということもあり、プレパやラウンド練は必然的にオンラインになったのですが、使ってみてその使いやすさにびっくりしました(mixideaの回し者ではない)。

 なによりUIが分かりやすくて、どの機能がそれぞれどこにあるのかがひと目見てわかるのが良かったなと。POIのボタンとかプレパ/スピーチ時間の自動計測とか、オンラインならではの機能が多くあって普通に使いやすかったです。

 惜しむらくは全体チャット/チーム間チャットの誤爆が時折起こってしまうのでその差別化やMandatory POIの実装(まぁジャッジが普通に介入できますが)とかがあるとより良いなぁとは思いましたが、全体的な使いやすさは自分のようなオンラインディベート初心者にも優しかったので、いい時代になったなぁと思います。

 またなにより、地理的な制約に関係なくディベート大会に参加できるというのが本当に素晴らしい。関東の家にいながら関西や他の地域のディベーターと大会に参加できるというのは経済的側面や会場の確保というロジスティックな側面の負担を大幅に軽減できますし、大会への参入障壁を大きく下げることに寄与するのではないでしょうか。

 例えば提供ジャッジの交通費どうする問題や、宿や交通手段どうする問題といった、遠征大会参加において意外と面倒な点をすっ飛ばせるのはシンプルに良いですね。

 オンラインディベートだと相手の顔が見えないのがコミュニケーションの取りづらさの一因にはなってしまいますが、それでも他の地域の人と容易に繋がれるのはオンラインの強みだなぁ、と感じました。

 繰り返しになりますがmixideaの回し者でもステマでもありません。

 

2.Pro-Am形式の大会良い

 今回の大会はPro-Am、要するに上級生と下級生のチーミングが参加条件になっていました(下級生同士のチーミングは可)。

 先輩=ディベートが強い、という経験年数と実力の相関関係を盲目的に支持するわけではありませんが、それでも今回の大会のように、ある程度ディベートの経験を積んだ人と下級生が組むというのは一定のメリットがあると思います。

 というのも、学内でのエジュケや練習だけではどうしてもカバーしきれない範囲や限界はあって、それをカバーできるからです。例を挙げるとモーション個別の対立軸の具体化やプレパ中の思考回路の共有等、「近しい距離で組まないと見えてこないもの」が該当するかなと。

 自分自身、駆け出しだった頃に先輩と組ませていただいて大会に出たことが一つのブレイクスルーになった実感があるので、学内学外問わずディベート経験の豊富な人(まぁ先輩に限りませんが)と組んで大会に出る、というのは普段の練習では得られないものがあると思います。

 と偉そうに書くとあたかも自分がパートナーにとって非常に良い先輩だったように見えますが、まぁそんなことはありません。ただまぁ、自分の持っているものを直接渡す、ということはできたかなぁと。これに関しては毎度頭を悩ませるところですが。

 同時に、先輩側も下級生・後輩と組むことで得られるものが多くあると思います。

 いつもとは違うプレパ・思考・時間の使い方を要求されることで普段より多角的な視座を持って臨むことができますし、なにより新しい気づきをたくさん得ることができます。自分も今回色んなことを学ばせてもらいました。

 

 国内の大会だとこれに近しいのがBP Noviceが当てはまりますね。

 ただこれはIV大会、つまり学内でのチーミングという制約があるので、ジョイント可のPro-Am大会が今後不定期で開催されるとよりコミュニティが活性化すると思います。特にディベートキャリアの早い段階で先輩や経験豊富な人と組むことは大事だと思っていて、そこから色んなものを盗んでほしいなと思います。

(実を言うとM2くらいの頃に有志を集めてMinatomirai Pro-Am Challengeみたいな大会を開こうかと画策したことがあったのですが、大会の大枠を考えている段階で修論に忙殺されたのでぼんやりとした大枠だけで頓挫しました。のでここで初めてそのフワフワした存在を供養します🙏)

 

 

3.地域/小規模大会は良い

 これは程度問題というか個人問題に帰結する気もするし、突き詰めるとコミュニティ全体の負担が激増するということにもなりかねない構造的な限界もあると思うので難しいのですが、今回のような小規模大会や、地域開催の大会はとてもとても良い試みだと思います。

 自分の所属していた「神奈川圏」には「みなとみらい杯」という(神奈川大学横浜国立大学横浜市立大学の三大学が参加する)地域限定大会がありました。様々な要因が重なってしまい今はなくなってしまった大会ですが、毎年9月頃に開催される1年生対象のNA大会でした。各大学の上級生と招待ジャッジがジャッジとして参加して、大会後には小さな交流会が催されていました。

 何が言いたいかというと、大きな規模の大会だけだとどうしてもモチベや意欲が減退してしまう時に、こうした小さな規模の大会の存在が一つの支えになると思う次第です。

 というのも、成長曲線やメンタルの強さにはどうしても個人差があって、オープン大会や「最強決定戦」でどれだけフルボッコにされてけちょんけちょんに負かされまくっても不屈の精神と長期的視座でディベートに打ち込む人がいる一方で、そうした環境だけだとどうしてもしんどくなってしまう人っていると思うんですね。

 まぁこれに関しては、「コミュニティとしてどこまでカバーする必要があるのか」や「逆に早くに見切りをつけられるのは良いことでは」といった対抗言説もあるのですが、個人的には色んな人が和気藹々とディベートを楽しむコミュニティが理想だと思っているので、こういった取り組みは是非とも続くと良いなぁと思います。

 部内戦でも良いと思いますし、特定の(日頃から交流のある)大学内だけでの開催でも良い思います。まぁ社会人の戯言だと思って流してください。

 

 

 ここまでだらだらと書きましたが、結論としては「Pro-Am Challengeめちゃくちゃ楽しかった!」という一文に集約されます。

 開催してくれた方々、唯一の関東の人間だったのにウェルカムしてくれた皆様、そしてなによりチーミングを打診してくれたパートナーへの心からの感謝で、今回のブログ更新としたいと思います。

 

 

 それでは。 

 

ゼロから始めたディベート史 Ep.7『中小大学の意地』

 ども、けろです。

 気がついたら社会人1年目がもうじき終わるという現実、2020年の4分の1が過ぎ去ったという時間の早さにびびってます。

 世間ではどうぶつの森の新作が出たりコロナが流行っていたりとなかなかに激動ですが、健康に気をつけながら社会人2年目も生きていこうと思います。

 

 ディベート界もこのコロナの影響をモロに受け、大会の中止やオンライン化等の対策を取っていますね。また機会があればそのことについて書いてみたりみなかったりすると思いますが、個人的にはオンライン化の流れはめちゃくちゃいいと思います。

 地理的な問題を解消できますし、国内にいながら海外大会に参加できたりもするので、参加障壁という点ではとても低くなっていると思うし、オフライン大会と並行してオンライン大会も増えていけばコミュニティもより活性化するのかな、と。

 同時にコロナのせいで新歓等が打撃を受けている側面もあり、各大学がSNSを使って工夫しているのを連日見かけます。この春~夏をどう乗り切るかが今後数年のディベートコミュニティの人口にも直結すると思うので、現役の執行代の方々を応援しております。

 

 今回の更新はタイトルにもある通り、私的ディベート史の更新となります。多分次回の更新はコミ記事最終回となる予定なので、そちらに関してはもう少しお待ちいただけると幸いです。

 

 では、以下目次です。

 

Ep.7『中小大学の意地』:院1年冬~春

 

0.はじめに

1.「最後」の挑戦

2.厨二病患者、西へ

 

0.はじめに

 「中小大学」という言葉を、私自身よく使いますし、コミュニティ内でも頻繁に使われます。その是非はともかくとして、これって結構ざっくりしているというか、ふわふわした言葉だなぁと。

 個人的な解釈になるのですが、「中小大学」というのはおそらく

 

・部員数が少なく、練習環境(参加人数・上級生の層の厚さ等)が整っていない。

・直近(約5年程度?)で複数回のブレイク経験のある部員がいない、あるいは極端に少ない。

 

 等の要素が共通して当てはまるのかな、と思います。

 特に2点目が(個人的には)重要な気がしていて、「個人」としてとても優秀な成績を残す部員がいたとしても、それが「部・サークル単位」の恒常的な成績と相関していない場合、前者の存在を取り上げて「あの大学は強い」とはいえないからです。

 そうした意味で「中小大学」というのが抱える構造的な問題というのは根深く、大学同士が協力してエジュケを行ったりインナー大会を開催したりすることである程度解消できるのかな?とも思います。特に上級生のいない/少ない大学同士で上級生を招聘してエジュケを行うことはリソースの再分配という点で非常に重要だと思います。アカデミックディベートで導入され、今後パーラでも導入が検討されているピースコ制度がそれにあたりますね。

 

 ちなみに私の所属していた大学のESSディベートセクションは、上記の定義の「部員が少ない」が該当しないレアな(?)ケースです。というのも母体となるESSの規模が(大学内でも)相当に大きく、1~3年生の現役生だけで部員総数が150人になる年もあったからです。その中でディベートセクションはというと、幸運なことに部員のリクルートには例年成功しており、直近はコンスタントに40人前後のセクション員が在籍しています。

 ところが(直近1年の大会パンフレットを見れば分かるように)実際に大会に出場する部員はというとその1割以下、わずか数人というのが実情です(*1)。

 これはESSという団体の雰囲気・ノリと、ディベートという競技の特性が比較的対極に位置していることが起因しているのでは?というのが個人的な分析なのですが、これを抜本的に解決するとなるとかなりラディカルというか急進的な方法しかない気もするので難しいところです。

 所謂中小大学の中にも、私の大学のような「ESSのディベートセクション」と「ディベートサークル」という2つの形式があるので、一概に「中小大学」と括って解決策を模索するのは建設的ではない気もしますね。ここら辺は要望があれば詳しく書こうと思います。

 

 

1.「最後」の挑戦

 前回、ちょうど冬のBPシーズンが終わったところで記事を締めましたが、シーズン的には次はAsian、春の大会ラッシュです。

 「春の大会」というとオープン大会ではKDO(旧ディベートのすすめ)、The Kansai、ICUT、春T、NDO辺りまででしょうか。直近だと東映杯や、学年大会も含めるとジェミニ杯も含まれますね。これが実に約4ヶ月間に集中しているので、これがなかなかにスピーディというか密度が高いです。

 

 院1年の冬~春というと、世間的にはちょうど就活の時期です。就活のことはもう振り返りたくもないのですが、企業分析やら説明会やら選考やら、まぁ結構盛り沢山です。

 そのため私も、就活とディベートのバランスを取るべく、この春は出場する大会を絞りました。具体的にはディベートのすすめとThe KansaiとNDOの3つです。頭おかC。

 

 そのうちの1つ、ディベートのすすめは、自分にとってある意味「最後」の挑戦の機会でした。

 というのもこの大会のチームメイトの1人は、自大学でずっと後輩の面倒を献身的に見続け、かつ自分とめちゃくちゃ仲の良い1個下の(4年生の)後輩だったからです(*2)。彼女にとってはこの大会が現役で出場する最後の大会で、私にとって文字通り彼女と組む最初で最後の機会でした(*3)。

 もう1人のチームメイトは前回のブログにも登場したQDOのパートナー(青学出身)です。この2人同士もめちゃくちゃ仲が良いので、マブダチ3人で挑んだ大会でした。

 

 さて、ディベートのすすめやThe Kansaiはオープン大会ということもあり、OBOGの方々がこぞって参戦することで近年高齢化が著しい大会です。

 どれくらい高齢化しているかについては既に具体的に分析してくださったブログがあるのでそのリンクを貼ります。

 

「ざかんの雑感2020」ー弁論ブログ

https://benron.hateblo.jp/entry/2020/02/23/232601

 

 この年の大会も例に漏れず高齢化著しく、それでいて参加チーム数の母数が少なかったので、必然的に少ないブレイク枠を多くのチームが奪い合うという、まさしく血で血を洗うような激戦必至の大会でした。

 私自身最近はあまり下馬評とか事前のオッズみたいなものは気にしなくなってきているのですが、この頃はどちらかというと直前連絡で回ってくる参加者リストを見て絶句している民でした。

 「え、既にブレイク確定レベルのところ10チームくらいいるじゃん?」みたいな、冷静に考えるとなんの意味も生産性もない、単に不要なバイアスを生むだけの不毛な行為ですね。ブレイク確定、なんてことは(ディベートという競技の特性上)絶対にないし、誰が相手でもやることは同じですから。

 

 そんな戦々恐々としたメンタルの中、それでもそれなりにチームでの練習を重ねた私達は「ブレイクすっぞ!」「全員ころすぞ!」という確固たる殺意を胸に大会に挑みました。

 

 R1は勝ち、R2で(このブログで何度も登場した、自分が尊敬してやまない)恩師のチームと当たって負け、R3は泥沼の末勝ちと、R4はなんとかバブルラウンドに滑り込むことができました。

 

 

 閑話休題

 最近はvetoもタブ上で完結できる便利なタブソフトも登場していますが、この時に使用されていたのは従来通り対面でのvetoが必要なタブソフトでした。

 これって当たり前ですが、対面って一番びびるんですよ。や、単に自分がコミュ障っていうだけじゃなくて、その時点で対戦相手が分かってしまうので、プレパのメンタルがそれに左右されてしまうんです。あんまりよくないことだなぁというのは分かっているのですが、自分はそこら辺が小心者というか、対戦相手によってめちゃくちゃメンタルがブレてしまうタイプの人間です。

 この大会のR2で恩師と当たった時も「えぇまじか……嬉しいし楽しみだけどあの人と当たるのか……」みたいに、複雑な心境でプレパに臨んでいました。

 閑話休題終わり

 

 さて、R4。

 マッチアップが発表されて、チーム名を見て対戦相手を探してORを見渡して、そこで息が止まりました。いや正確には、(あれ、このチーム名って確か……)と薄々勘づいてはいたので、息が止まっていくのを認識しながら、嫌に高まる心臓を抑えるのに必死でした。

 

 対戦相手のチームはどの方も強くて、中でもそのうちの1人、自分のディベート同期はこの時期めちゃくちゃ強くて実績をめちゃくちゃ残しているディベーターでした。

 で、その同期が一言、

 

「あれ、けろ3勝?」

 

 この時点で自分達は2勝1敗だったので「いや、俺らは2勝だけど、そっちは2勝?」と聞き返すと、「俺らは3勝」と返されました。

 

 

(あ~~~~これが噂のバブルでのプルアップか~~~~~クソが~~~~)

 

 

 何度も言いますが相手が誰であろうとやることは同じですし、タブのマッチアップを恨むというのはお門違いです。運を恨む暇があったらその分リサーチしたりプレパ練した方がはるかに合理的な時間の過ごし方です。

 

 ただなんというか、自分のメンタリティ的に「ここでプルアップかよ……」と思ったのは事実でした。ここではプルアップの仕組みについては触れませんが、要するに大会によっては同じ勝ち数のチーム同士が当たらないこともある、ということです。

 あとから分かったんですが、この大会のプルアップの方式は「ランダム」、つまり2勝チームの中から完全にランダムでプルアップチームが決まる、というものでした。

 

 3人が3人とも実績を残していて、この大会でも既に3勝と、いわば下馬評でも(現在進行形の)実力面でも(自分にとっては)格上のチームとバブルで当たるということに、絶望半分殺意半分といった心境だったのを覚えています。これは今だから言えることですが、マッチアップがわかった時に「よっしゃ絶対にぶっ倒してやる」という純然たる殺意と同じくらい「あ、負けるかもしれない…」という冷たい諦観を抱きながらプレパ部屋に向かいました。心のどこかが冷えていく感覚、といえばいいのでしょうか。

 

 それでも私もパートナーもめちゃくちゃに燃えていたし、モーションも自分達好みのモーションかつやりたいサイドだったので、とても熱量のあるプレパ時間でした。

 

 自分達にとってはブレイクが、相手にとっては4勝ブレイクがかかった一戦は、めちゃくちゃ楽しかったです。チェアのジャッジが(Ep.1とEp.2で軽く触れた、フレーミングの資料を書いてくださった)尊敬している先輩だったということもあり、自分のセカンドスピーチにも相当熱が入ったのを覚えています。

 

 予選が終わって、R2で当たった先輩たちのチームと近くの居酒屋でセルフブレイクナイトをする流れになり、心の落ち着かないドキドキ感をアルコールで誤魔化すことにしました。

 

 

 この時のことは今でも忘れません。

 

 ブレイク発表予定時刻になった瞬間から数10秒おきに大会のFBページを更新し、ブレイク発表のポストが流れた瞬間。

 

 自分達のチーム名を12th break、つまり最後のブレイクチームのところに見つけた瞬間。

 

 自大学の(苦楽をともしてきた)後輩にとっての初めてのブレイクだとわかった瞬間。

 

 反射的というか、自分でもびっくりするくらいの大声が出ました。そして店員に怒られました。ごめんなさい。

 パートナー2人は泣くし、自分は涙を堪えながら押し寄せる感情を処理しきれなくて、そんな中ブレイクを知った知り合いが続々とLINEで「あのバブル切り抜けたのほんますごい」的なお祝いの文章を送ってくれて、一緒にいた先輩たちの嬉しそうな表情もあいまって本当に多幸感に包まれた時間でした。

 

 

 自大学の後輩とオープン大会でブレイクする。

 

 

 口にしてみればなんてことはない目標かもしれませんが、自分達の大学にとってはこれがとにかく難しくて、達成できないまま自分は卒業するんじゃないかっていう思いもあったので、本当に嬉しかった。QDOのパートナーとももう一度ブレイクすることができて、端的に言って「最高」って感じでした。

 おまけにジャッジしてくださった先輩が直々に「超絶うまかった」「メタディベート良かった」とお褒めの言葉をくださって、感無量極まれり。

 

 ブレイクラウンドは初戦でR4の相手と再戦するとかいう展開になり、ここで負けてしまったので最終成績はPre-Quarter Finalistでした。

 

 

 その上、個人アワードで自分の名前と自大学のロゴがスクリーンに映し出されて、にわかには信じられないといった思いでした。

 

 

 長年部を支えてくれた後輩と出場する最初で最後の大会でブレイクできて、なおかつ個人でアワードをもらうこともできて、負けたのは悔しかったけどそれ以上に怒濤の嬉しさでした。

 一番嬉しかったのは、自分の名前と大学のロゴが出た瞬間に、会場全体が沸き立ったことでした。周囲から飛んでくるお祝いの言葉は、気恥ずかしかったけどとんでもなく嬉しかったです。

 

 

 

 

2.厨二病患者、西へ

 既に完全に自分語りな上に語彙力がミジンコと化しているので、次の話題に移りましょう。

 

 次の大会、The Kansaiには成蹊大学の後輩と大阪府立大学出身(?)の先輩と出場しました。

 プレパ練の時から相性の良さというか、会話のリズムの楽しさを十二分に感じていて、「こーれは楽しいチームだぞぉ」というワクワク感でいっぱいでした(*4)。

 

 

 なによりもこのチームは全員が厨二病患者で、チーム名を「千手の涯 届かざる闇の御手 映らざる天の射手 光を落とす道 火種を煽る風 集いて惑うな我が指を見よ 光弾・八身・九条・天経・疾宝・大輪・灰色の砲塔 弓引く彼方 皎皎として消ゆ」とかいうクッソ長いものにするくらいにはぶっ飛んでました。ちなみにこれはBLEACHの鬼道の1つ、千手皎天汰炮の詠唱です。オサレですね。

 

 

 

 R1でいきなり強いチームと当たって負けてしまい、あとがない状況での予選は常に緊張感とヒリヒリ感があって、その中をこの3人で駆け抜けられたのはシンプルに楽しかったです。

 

 大会終わりに関西の方々とセルフブレイクナイトに参加し、アットホームな雰囲気でワイワイできて、遠征大会特有の「お祭り感」というか、普段交流のない人たちと関われる非日常感が堪らなかったですね。

 

 確かこの年のThe Kansaiが大会で初めてオンラインでの映像配信という形でブレイクアナウンスメントを行った大会で、ブレイクアナウンスメント特有のドキドキ感をみんなが共有できて本当に素晴らしい試みだなと。

 

 

 先ほどの流れとデジャブですが、あのクッソ長いチーム名がブレイクアナウンスで流れた瞬間の「うぇい!」感は凄まじかった。やっぱり気心の知れた人たちと組んでブレイクできるというのは、いつ経験しても本当に嬉しい。

 

 

 おまけに今度はPre-QFを突破できたのででぃべすすのリベンジもできた気がしたし、院生と社会人というおじさん達のチームに飛び込んできてくれた(当時の)成蹊大学の1年生の後輩の成長を間近で見ることができてめちゃくちゃ良かった。

 

 

 いわゆる「中小大学」3人のチーミングだったけどQFまで進むことができて、なんとなく(これが中小大学の意地や!)みたいな名状し難い感覚で院生1年目を終えることができたのは自分にとって大きな経験だったと思っています。

 

 それまでの自分は、どこか大学名とかそういうのに変に意識を向けすぎていて、自分の中にコンプレックスのようなものができていた気がします。それは仕方のないことだと思うけれど、いつまでもその感覚を抱いたままだと多分どこかで競技を辞めていたかもしれないし、社会人になった今もこうして細々と競技を続けられているのは、単に競技が好きというだけではなく、この頃の意識の変化も少なからず影響しているように思います。

 

 

 そしてなにより、このThe Kansaiで自分史上「最高に合う人」とチームを組めたのはなによりも大きな出来事だったなぁと。

 過去のブログ記事でも触れていますが、このとき組んだ大阪府立大学(?)出身の先輩とのプレパは本当にスムーズかつ無駄がなく、「お互いに抜けていた穴を埋め合う」ことができていました。自分が主要な対立軸と双方のケースを洗い出して、この先輩がひたすら細かく話を詰め続けるという分業は、お互いのディベート観が分かれていたからこそあそこまで綺麗にはまったんだなぁと。自分がディベートをしていく中でどうしても得られなかったものを持っている方だっただけに、この大会は今でも大事な思い出です。

 

 

 こうした経験をできたのは、きっと良い意味で自分が「中小大学」という場でディベートを始め、続けてきたからなのではないかな、と思います。

 

 と、院1年のAsianシーズン、ましてや2大会についての思い出をだばだば~っと書くだけで凄まじい文量になってしまいました。おまけに語彙力の低下が著しい。

 

 でも当初の予定通りこの内容を1回の記事にぎゅぎゅっと詰め込むことができたので、次からの更新は最後の1年について触れていけそうです。

 

 

 更新としてはあと3回程度を予定していますので、残り数回、ごゆるりとお付き合いください。

 

 

 

 それでは。

 

 

 

*1:私が3年生の時も、アクティブに大会に出るのは私の代で(私を含めて)2人前後、2年生の代で2~3人、1年生の代で4~5人といった具合でした。これでも近年の中では多い部類で、ここ数年はあまり大会に参加している姿を見かけませんね……

 

*2:後輩といってもお互いタメ口だし接し方はフランクだし、普通にマブダチというか悪友的な存在です。

 

*3:Ep.6で軽く触れましたが、私は現役時代、後輩と組んで大会に出たことがほとんどありませんでした。これは本当に後悔してもしきれないことで、やり直せるならやり直したいと思っていることの1つです。この後輩とはめちゃくちゃ仲が良く、よく一緒にプレパ練をする仲だったんですが、なぜか大会に一緒に出たことはありませんでした。私はよく同期や別の(私達についてきてくれた)後輩と大会に出て、彼女は別の後輩と大会に出ており、「大会前によくプレパ練をするのに大会には別のパートナーと出場する」という珍しい関係性でした。

 

*4:ディベートの相性の良さ、というだけではなくて、話が合うというか、笑いのツボやキャッチボールのテンポがぴったりで、話していてストレスが一切ない素晴らしいチームでした。

ゼロから始めたディベート史 Ep.6『新しい挑戦』

 ども、けろです。

 コミに関する記事を書きながらふと自分のブログを遡っていたら、私的ディベート史の最後の更新が去年の10月末と知って震えました。もちろん武者震いとかじゃなく、ただの悪寒です。

 もうすぐ社会人2年目に突入するというのにこの自己管理の甘さと有言不実行っぷりはさすがにやばいだろ……ということで、コミ記事第四弾の投下前に、止まったままだった時計の針を少しだけ進めていこうと思います。目標としては夏までにはこの長いお話を完結させたいと思ってますので、ぜひ最後までお付き合いください。

 

 

 というわけで、以下目次です。

 

 

Ep.6『新しい挑戦』:院1年春~院1年冬

 

0.はじめに

1.怒濤の春

2.飛躍の夏

3.再認識の秋

4.集大成としての冬

 

0.はじめに

 遂にディベート史もEp.6まできました。書き始めが学部1年~2年の頃(2013~2014年)だったことを思うと、なんだかエモさを感じてしまいます。そして今回からやっと【院生篇】に突入します。~篇と命名したからといって特別何かが変わるわけではありません。なんとなくかっこよさそうだったから言ってみたかっただけです。院生篇、と聞くと真っ先にヒカルの碁を思い出すの、完全に世代ですね。

 こうして6年分の学生生活を振り返ってみると、本当にあっという間だったと感じるし、時間の有限さというのを意識せずに過ごしてしまったなぁと猛省します。もっとうまく時間を使えただろうし、もっと色んなことに挑戦できただろうし、もっと違った大学生活を送れたんじゃないか、と時折夢想してしまうのは、きっと人生のどのステージになっても自分の悪癖として残り続けるのでしょう。

 

 そういう悪癖を捨て去るためにも、自分はこのブログを書いているのかもしれませんね。過去の自分の歩んできた道を掘り起こし、描写し、事実を事実として取り上げる。自分を見つめ直す時間といってもいいかもしれません。

 

 最近、やっとそういう余裕を持つことができるようになった気がします。先日参加したとある研修で、講師の方が「過去は変えられないけれど、過去から学び取るものは変えることができる」と仰っていました。自分の大学生活はもう取り戻すことはできないけれど、そこに「何」を見出すかどうかはこれからの自分の考え方次第なのかな、と柄にもなく小洒落たことを考えたりするようになりました。

 

 そういうわけで、残り数パート、気長にゆるりとお付き合いください。

 

 

1.怒濤の春

 学部と同じ大学の大学院に進学した自分は、研究やら院での授業に追われる傍ら、しつこくディベートを続けていました。しつこくというかしぶとくというか、自販機のコーンスープの底に残る数粒のコーンよろしく、学生生活を最後までディベートに注いでいたわけです。まぁ、研究とかで溜まったストレス発散として、ディベートはうってつけの趣味だったのかもしれません。ちょうどおじいちゃん達が公園でゲートボールをする感覚ですね。

 

 院に進学してすぐに部活の後輩2人に声をかけ、春Tに出場しました。「先輩」として「自大学」の「後輩」を引っ張るのは想像していたよりも何倍も大変で、練習ではできていたことが本番ではできなかったり、他の後輩と組むときはスムーズにいくことで躓いたり、チームとしてはなかなか思うようにいかず、結果は普通にブレイク落ちでした。

 この時にうっすらと、自分が教育を怠ってきたことのツケが回ってきたように感じました。自分自身では現役のときは可能な限り後輩を育てようと思っていたし、それを実行に移してきたつもりだったけれど、(自分がまがりなりにも「実績」を得られるようになったのはキャリア後半の学部4年以降であることを踏まえると)きちんと理論を理解できるようになってからの自分がエジュケの根幹に関わらなかった/関わってこなかったことが、少しずつ顕在化してきているような、そんな実感を覚えました。

 

 学部4年とか院生というと、キャリア4年目とかに差し掛かってくるし、コミュニティ内での年次が上がるということもあって、真面目半分冗談半分で「老害」に片足を突っ込み始める頃合いかと思います(そのことの是非にはここでは触れません。あくまで事実として、現在のコミュニティはそうである、という言及です)。

 先輩に頼りきりになるというのは、確かに部の持続性とか次世代の育成という点ではあまりよろしくないとは思います。特定の先輩ばかりがいつもレクチャーをする環境では、後輩が自発的にエジュケをするようになりにくなったりするし、エジュケする側に立って初めて学べることを得られずに終わってしまうことに繋がりかねません。

 ただそれでも、部内に「先輩」という貴重なリソースがあるのなら、それを(いい意味で)使用するというのは、特に「中小大学」と呼ばれるような大学にとっては重要なのではないでしょうか。

 

 もちろん、現役生との距離感とか、各自の運営へのモチベ、部の方針にいちいち口を挟んでくる先輩の著しい老害化等、様々な課題はあると思いますし、これを上級生側が「押し売り」するのがお門違いであることは間違いありません。自分が同じ立場だったらちょっとウザさ感じるし。

 だからこそ、自分が現役の時に「頼れる時には先輩を頼ってもいい文化」というのを定着させられたらな、と思うわけです。いつも頼るわけではなく、ここぞという時にリソースのひとつとして頼らせてもらうし、先輩自身も自分の立場や役割を分かっている、といった距離感で。

 きっとそうした距離感がうまい部やサークルというのが、長い目で見て伸びていくのだなぁと勝手に思っています。

 

 そんなわけで悔しさと儚さ、申し訳なさを抱きながら終わった春Tでしたが、収穫がなかったわけでもありませんでした。

 大会が終わったその日の夜に後輩に感謝と謝罪のLINEを送ると、後輩の1人がすごく丁寧に「4Rで平均75点取るのが目標でした。達成できて嬉しいです」と返してくれたんです。75点というと、Nationalsに出たことがある人はわかるかもしれませんが、決して「高いスコア」というわけではありません。所謂”アベレージ”と呼ばれるスコア域ですし、ここが評価のベースになっていたりします。

 ただそれでも、後輩が自分で目標を設定し、それを達成した姿を傍目で見ていて、この大会に出た甲斐はあったなぁと。ブレイクラウンドに連れていくことは叶わなかったけど、後輩のディベート人生の中に何かしらの意味を持たせることのお手伝いができた気がして、自分的にはとても嬉しかったのを覚えています。特に自分のディベートキャリア前半は同期と結果を追い求めることに執心して、後輩と組んで大会に出る、ということは恥ずかしながら疎かにしていました。後輩と組むのは別の人に任せきりで、良く(後輩の言葉を借りて)言えば「部を最前線で引っ張る」ことはしていたけれど、ついて来てくれる人達の背中を押すこともできていたら、もっと良かったかもしれません。そんな、自分にとって数少ない「後輩と出た大会」で、距離感を掴みきれずにいた自分に対して後輩が送ってくれたその言葉は、とてもとても温かい気持ちにさせてくれました。

 

 

 そんな春が過ぎ、5月末、自分は名古屋に遊びに来ていました。もちろん目的はディベートです。この年に初めて開催となるNagoya Debate Open、通称NDOにWADとICUの後輩と出ることになったからです。後輩といっても自分と距離が非常に近くて、「先輩-後輩」のような明確に表せる関係性ではなかったと思います。

 

 この大会が自分にとって大きかったのは、参加層の厚さでした。OBの方も多く参加していて、そんな人たちと予選から殴り合えたのはとても楽しかったし、自分の好きな論題でバチバチに楽しい試合ができて、本当にいい大会でした。

 楽しかったのはそれだけではなく、この大会で初めて、実に5年越しに準決勝、つまり

Semi Finalに出場することができたことが、本当に嬉しかった。

 それまでの自分は、ブレイクすることはできても準々決勝、Quarter Finalで負けてばかりの所謂「QF芸人」でした。だから初めてその壁を突破できた時の嬉しさといったら、5年目とは思えないくらい大っきな声で飛び上がってしまうくらいでした。

 

 SFの相手も自分が尊敬する人たちで、そんな人たちと大勢のオーディエンスの前でスピーチをするというのはめちゃくちゃ緊張したけど、はちゃめちゃに楽しかったです。

 天皇制の是非に関する論題で、自分が某有名な音源をサンプリングして”Emperor system is an artificial concept, but a beneficial concept”と始めた時に会場の一部で笑いが起きたの、端的にいって病気ですよね(笑)。最高でした。

 

 予断ですがこの時のチーム名、”Claretta’s skirt”はめちゃくちゃ気に入っていて、自分ランキングでもトップに入るチーム名です。響きも由来も、全部が綺麗だなと思っています。

 

 

2.飛躍の夏

 院生最初の春は本当に一瞬でした。研究と授業とディベートをしていたら桜が散っていたし、関東特有の湿気を含んだ夏になっていたのは、本当に時間の速度を痛感します。

 

 院1年の夏も、それはそれは盛り沢山でした。

 まずQDO。このブログで最初の方に取り上げた旧Kyushu Cupです。学部4年の時は出場していなかったので、1年越しの参加でした。

 青学のマブダチのような後輩(?)とチームアップして、大会の2日前に現地入りしました。せっかくの福岡を満喫するぞ!と意気込んでいたはずが、なぜか私たちのチームは2日間ともQUDSの練習にお邪魔し、福岡遠征の貴重な時間を見事にディベートに充てたのでした。

 

 1年という空白を置いて参加したこの大会は、自分が以前参加したものとはまったく別物になっていました。大会規模も、招待ジャッジの質も、モーションの難易度もラウンドのレベル感も、もちろん2015年もめちゃくちゃいい大会だったんですけど、2017年のそれはもう凄まじくて、ただただ感動していました。

 

 ただその分、大会が進むにつれてしんどさを感じていたのも事実です。というのも、大会の規模が大きくなること、そして参加者の層が厚くなるということは、どの部屋にアロケされてもレベルの高いラウンドになるということです。

 当然、どんな相手でもやることは変わりませんし、勝ち負けの責任を他人に押し付けることは問題外です。自分達の生殺与奪は全て自分達のパフォーマンスに依存しますし、そこに関しては一切の言い訳とかをするつもりはありません。ただの感想として、「レベル高っ、しんどっ」というのを抱いていた、ということです。

 

 確かR1は関西のめっちゃ上手いチームが前にいて、堅実に2位を狙いにいって見事に2位、R2はCOでよく分からん話をして3位と、2015年にはこの時点で5点獲っていたのにこの年は3点でした。

 R3で普通に強いチームが同じ部屋にいて、自分達OOは「この部屋って3点部屋じゃないの??」と謎のキレ方をしたのを覚えてます。このラウンドをなんとか1位で抜けて、最後のラウンドは北朝鮮核武装論題でOGでした。

 OOとCOに知り合いがいて気楽でしたが、その分負けたくないという殺意もあったので、バブルラウンドとしての緊張感充分の部屋でした。めちゃくちゃ楽しかったです。

 

 正直Oppベンチの話が普通に上手かったので負けた感触を抱きながら、運営が手配してくださったブレイクナイト会場で寿司と酒を貪っていました。

 

 余談ですが、QDOのブレイクナイトは国内のどの大会と比較してもトップクラスのクオリティだと思っています。なにせ(少なくとも2017年と2018年は)学内にブレイクナイト会場があり、R4終了後に直行して美味しいご飯とお酒を堪能できるんです。

 以前の記事でちょろっと触れましたが、ブレイクナイトって運営からするとかなり腫れ物というか、運用が大変なんですよ。大会会場の近くにすると遠方参加者が参加しづらいし、却って遠くにするとアクセスが不便なので行くモチベが下がる、といったジレンマがあるので。

 そうした意味で、QDOという国際大会は、参加者のほぼ全てが博多周辺に宿を取っているという点でブレイクナイトを開くにはもってこいなのでは、と勝手に推測しています。

 ブレイクアナウンスメントが始まって、どんどん順位が下がっていく中、なかなか自分達のチームが呼ばれないことに焦り、それはパートナーも同様のようでした。

 だから、もう何位で呼ばれたかあまり覚えていませんが(確か28位とかだった気がします)自分達のチーム名がスライドに映ったときはそれはそれは嬉しくて、同じ宿のメンバーと大声で飛び跳ねて喜びました(*1)。

 

 ブレイクラウンドは、Oct Finalからめちゃくちゃにレベルが高くて、「え、俺らこの人達とディベートすんの?まじ?」って感じでした。だから(OGというサイド運が8割方味方してくれたのは間違いありませんが)リザルト発表で自分達のチームが残ったのが信じられないほど嬉しくて、パートナーも雄叫びあげてて、周りも(いい意味で)驚いてくれてて、夢を見ているような気分でした。

 QFでは善戦虚しく負けてしまいましたが、海外ディベーターのかっちょいい議論に全力で喰らいついていったあのヒリヒリ感を体験できたのはなにより大きな経験だったし、端的に言って「最高」でした。

 

 

 この時点で既にお腹いっぱいになるくらい夏を満喫していたんですが、実はこの夏はまだ終わっていませんでした。というのもこの大会が終わってすぐにIcho CupのACが控えていたからです。

 自分語りとか自分の実績の美化のようなことは極力したくないのですが、所謂「中小大学」からACを輩出するというのは、簡単なことではありません。ジャッジやディベーターとしての一定の成績が要求されるということは、必然的にかなりのハードルになります(*2)。

 

 学部3年生で初めてディベーター・ジャッジブレイクをした時に、自分はいくつかの目標を(自分の中だけで)立てていました。たとえばスピーカープライズに入るとか、例えばジャッジアワードをもらうとか、そういうやつです。

 そのうちの一つに、「2日間大会のACをやる」というのがありました。実はこの半年ほど前の2017年1月にKK Cupという名古屋の大会でACを務めさせてもらったので、その時点で夢は叶っていたんですが、「自分が1年生の頃から見ていた大会でACをやる」という、憧憬にも似た感情というのはいつまでも残っていたので、CAから声をかけてもらったときは本当に嬉しかった。

 加えて、この大会で自大学の(前述の春Tに一緒に出た)後輩がジャッジブレイクをしてくれたのも、その子を1年生の頃から知っている立場の人間として、本当に感慨深かったです(*3)。

 

 個人として、そして「大学」として、ほんの少しではあるけれど飛躍することができて、満足度が高いシーズンだったと思います。

 

 

3.再認識の秋

 春と夏を書き終えた時点で文量が膨れ上がっていることに気づいたんですが、もうここまできたら院1年はこの回で終わらせようと思います(開き直り)。

 さて、秋は秋で色々とあったはずですが、一番記憶に残っているのは秋Tのブレイク落ちでしょうか。

 既に出落ち感があるのですが、久しぶりの関西開催となった秋Tで、自分は自大学の後輩(春Tのパートナーとは別です)を誘い、エジュケをしつつ結果を求めていました。

 というのも、自分は今(2020年3月現在)に至るまでに所謂ナショナルズと呼ばれる3大会でディベーターとしてブレイクをしたことがなかったので、出るからにはブレイクを目指していました。

 他のジョイント可の大会と違って、(春と秋の)ナショナルズは純粋な大学間対抗ということもあり、各大学の地力が割とモロに反映されます。そういう意味で、自分はナショナルズでブレイクしたかった。自分という個人だけではなく、「神奈川大学」という「団体」として、他の大学と対等に戦えるくらい強くなったのだということを証明したかったし、ESUJで初めて大会というものを知った時から、それだけは譲れない目標でした。

 

 結果的に自分にとって最後のナショナルズがこの2017年の秋Tで、そこでブレイクを逃した自分は永劫そのチャンスを失ってしまったのですが、これだけは数少ない心残りになっています。

 前述の内容と重なりますが、やはり現役生の頃から風土作りに尽力すべきだったし、部活を引退した後も違う形で関わり続けるべきだったのかもしれません。今となっては完全に後出しでああだこうだ言うことしかできませんが、きっとこれだけはいつまでも尾を引くのでしょう。

 

 やはり自分は、「個人」としてある程度の結果を残すことはできても「大学」を強くすることはできていなくて、周りを巻き込んでなにかをするのはこんなにも難しいことなのかと再認識した瞬間でもありました。

 

 

4.集大成としての冬

 院1年の冬にディベーターとして出た大会は神戸牛争奪戦ことRyoso Cupだけでした。KDSの仲良しの後輩と組んで臨んだ神戸牛との戦いは、過去2回のリザーブドというジンクスを覆してブレイクすることはできたもののQF芸人という別のジンクスに阻まれてあっけなく終わりました。や、単に負けたというのなら納得もできるんですが、このQFで自分は過去一番の爆死をぶちかましてしまって、それをしばらく引き摺りました。パートナーにも申し訳ないし、自分の無知さが恥ずかしいし、そんなもやもやとした感情でこの冬のBPシーズンが終わったのを覚えています。

 

 競技者としてはあまり大会に出なかった自分は、この年のJapan BP、所謂冬Tで久しぶりのコミをやることにしました(*4)。

 ただまぁ、これはいつものことなのですが、会場が見つからなかったり、見つかったけどかなり遠隔地だったりと、運営としては頭を抱えることも多かったです。おまけに自分の仕事が遅くてACの方々に迷惑をかけてしまったり、オンラインレジの導入等参加者の皆さんにも多大な負担をかけてしまったりと、およそTDとしては充実感よりも申し訳なさの方が強かったんですが、それでもこの大会をTDとして運営できたのは本当に良い経験でした。

 仲の良い友人たちをコミに呼んだり、歴戦の方々を当日コミとして召喚したり、ラウンド間に部屋を走り回って写真を撮ったりと、「コミならでは」の時間を十二分に楽しむことができて、とても充実していました。

 そしてなにより、自分が敬愛してやまない方をCAに迎え入れて一緒に大会を作れたことは、自分のディベート人生の中でもトップクラスに嬉しいことでした。学部2年の夏に初めて参加した夏セミで自分が参加したラボのレクチャラーで、学部3年の春に参加したでぃべすすのR3とQFでボコボコに殴ってくださった方で、事あるごとに優しく声をかけてくれる、もはや崇拝にも似た憧れを一方的に抱いている方がCAを引き受けてくださって、しかもその後の国際化の波の発起人としての取り組みをしてくださって、自分は本当に幸せ者だなと思いました。同時に、続けてみるもんだなぁという月並みの感想も抱きました。ディベートを始めた当時の自分からしてみれば、まさかこの人と一緒に仕事ができる日がくるなんて夢にも思わなかったでしょうから。

 

 

 そんな夢のような、それでいて怒濤の大会の運営を終えて、自分は正規コミを引退することにしました。別に明確な手続き等があるわけではないのでただの口約束なのですが、それでもこれからのコミュニティを担っていくのはこれからの若い世代であるべきだと思ったし、自分のような老兵は潔く身を引いて後進を応援しようという決意の表れです。

 

 

 余談ですが、この時の自分はまじで研究と大会運営の2つに見事に忙殺されていました。院生の忙しさを痛感するとともに自分のキャパの小ささに絶望する数ヶ月間でした。

 

 

 

 といった具合に、およそ研究が本分の院生の行動とは思えないほど活動していました。後輩と組んで大会に出たり、初めてSFいったりACやったり後輩と大会に出たり。もう少し真面目に研究してくれと思いながらも、こうした新しい挑戦は、自分にとってプラスだったのだと今なら思えます。

 本当はこの後、春先のAsian大会のことも書こうと思ったのですが、それはまた次回、ゆっくりと字数をかけて書こうと思います。

 

 

 残すところあと1年ちょっと。最後まで適当な眼差しでかわいがってください。

 

 

 それでは。

 

 

*1:同じ宿に泊まっていた仲良しの後輩チームの1人は、ブレイク落ちを確信していたのかヤケ酒をしていて、ブレイクがわかった時には祝い酒をして無事潰れていました……酒は飲んでも飲まれるな。

 

*2:加えて、JPDU大会以外の大会のAC選出はコミが行うことが多く、そういう意味で「コネ」というか、ある程度「顔が広い」ことも必要になったりします。

  新2年生がエジュケ・経験を積むためにACをやることもあるので、一概に「実力」のみが指標になっているわけではありませんが、それでもその選出過程で名前を挙げていただくためには、一定の実績を残していることは最低限必要な要素でしょう。

 

*3:確かこの年のIcho Cupの優勝はAIUだったんですが、AIUのことを知っている人が当時のディベート界にはあまりいなかったというのもあり、ブレイクラウンドのリザルト発表で色んな大学を蹴散らして上に進んでいくその姿は本当にかっこよかったです。決勝も6-7くらいの割れ方の激戦を制しての優勝だったので、(おこがましいのは承知ですが)「中小大学」として勝手に親近感をもらったり、勇気づけられたりしていました。 

 

*4:その前にコミをやったのは2016年のJapan BPだったので、ちょうど1年ぶりでした。実は2016年の時点で「来年はTDをやる」と意気込んでいたので、大会の3ヶ月前くらいから動き始めていました。詳しい所感は当時のFacebookに長文でポストしているので、コロナで時間を持て余している方は投稿を遡ってくだされば当時の生の声が見られると思います。別におすすめはしません。