ゼロから始めたディベート史 Ep.7『中小大学の意地』

 ども、けろです。

 気がついたら社会人1年目がもうじき終わるという現実、2020年の4分の1が過ぎ去ったという時間の早さにびびってます。

 世間ではどうぶつの森の新作が出たりコロナが流行っていたりとなかなかに激動ですが、健康に気をつけながら社会人2年目も生きていこうと思います。

 

 ディベート界もこのコロナの影響をモロに受け、大会の中止やオンライン化等の対策を取っていますね。また機会があればそのことについて書いてみたりみなかったりすると思いますが、個人的にはオンライン化の流れはめちゃくちゃいいと思います。

 地理的な問題を解消できますし、国内にいながら海外大会に参加できたりもするので、参加障壁という点ではとても低くなっていると思うし、オフライン大会と並行してオンライン大会も増えていけばコミュニティもより活性化するのかな、と。

 同時にコロナのせいで新歓等が打撃を受けている側面もあり、各大学がSNSを使って工夫しているのを連日見かけます。この春~夏をどう乗り切るかが今後数年のディベートコミュニティの人口にも直結すると思うので、現役の執行代の方々を応援しております。

 

 今回の更新はタイトルにもある通り、私的ディベート史の更新となります。多分次回の更新はコミ記事最終回となる予定なので、そちらに関してはもう少しお待ちいただけると幸いです。

 

 では、以下目次です。

 

Ep.7『中小大学の意地』:院1年冬~春

 

0.はじめに

1.「最後」の挑戦

2.厨二病患者、西へ

 

0.はじめに

 「中小大学」という言葉を、私自身よく使いますし、コミュニティ内でも頻繁に使われます。その是非はともかくとして、これって結構ざっくりしているというか、ふわふわした言葉だなぁと。

 個人的な解釈になるのですが、「中小大学」というのはおそらく

 

・部員数が少なく、練習環境(参加人数・上級生の層の厚さ等)が整っていない。

・直近(約5年程度?)で複数回のブレイク経験のある部員がいない、あるいは極端に少ない。

 

 等の要素が共通して当てはまるのかな、と思います。

 特に2点目が(個人的には)重要な気がしていて、「個人」としてとても優秀な成績を残す部員がいたとしても、それが「部・サークル単位」の恒常的な成績と相関していない場合、前者の存在を取り上げて「あの大学は強い」とはいえないからです。

 そうした意味で「中小大学」というのが抱える構造的な問題というのは根深く、大学同士が協力してエジュケを行ったりインナー大会を開催したりすることである程度解消できるのかな?とも思います。特に上級生のいない/少ない大学同士で上級生を招聘してエジュケを行うことはリソースの再分配という点で非常に重要だと思います。アカデミックディベートで導入され、今後パーラでも導入が検討されているピースコ制度がそれにあたりますね。

 

 ちなみに私の所属していた大学のESSディベートセクションは、上記の定義の「部員が少ない」が該当しないレアな(?)ケースです。というのも母体となるESSの規模が(大学内でも)相当に大きく、1~3年生の現役生だけで部員総数が150人になる年もあったからです。その中でディベートセクションはというと、幸運なことに部員のリクルートには例年成功しており、直近はコンスタントに40人前後のセクション員が在籍しています。

 ところが(直近1年の大会パンフレットを見れば分かるように)実際に大会に出場する部員はというとその1割以下、わずか数人というのが実情です(*1)。

 これはESSという団体の雰囲気・ノリと、ディベートという競技の特性が比較的対極に位置していることが起因しているのでは?というのが個人的な分析なのですが、これを抜本的に解決するとなるとかなりラディカルというか急進的な方法しかない気もするので難しいところです。

 所謂中小大学の中にも、私の大学のような「ESSのディベートセクション」と「ディベートサークル」という2つの形式があるので、一概に「中小大学」と括って解決策を模索するのは建設的ではない気もしますね。ここら辺は要望があれば詳しく書こうと思います。

 

 

1.「最後」の挑戦

 前回、ちょうど冬のBPシーズンが終わったところで記事を締めましたが、シーズン的には次はAsian、春の大会ラッシュです。

 「春の大会」というとオープン大会ではKDO(旧ディベートのすすめ)、The Kansai、ICUT、春T、NDO辺りまででしょうか。直近だと東映杯や、学年大会も含めるとジェミニ杯も含まれますね。これが実に約4ヶ月間に集中しているので、これがなかなかにスピーディというか密度が高いです。

 

 院1年の冬~春というと、世間的にはちょうど就活の時期です。就活のことはもう振り返りたくもないのですが、企業分析やら説明会やら選考やら、まぁ結構盛り沢山です。

 そのため私も、就活とディベートのバランスを取るべく、この春は出場する大会を絞りました。具体的にはディベートのすすめとThe KansaiとNDOの3つです。頭おかC。

 

 そのうちの1つ、ディベートのすすめは、自分にとってある意味「最後」の挑戦の機会でした。

 というのもこの大会のチームメイトの1人は、自大学でずっと後輩の面倒を献身的に見続け、かつ自分とめちゃくちゃ仲の良い1個下の(4年生の)後輩だったからです(*2)。彼女にとってはこの大会が現役で出場する最後の大会で、私にとって文字通り彼女と組む最初で最後の機会でした(*3)。

 もう1人のチームメイトは前回のブログにも登場したQDOのパートナー(青学出身)です。この2人同士もめちゃくちゃ仲が良いので、マブダチ3人で挑んだ大会でした。

 

 さて、ディベートのすすめやThe Kansaiはオープン大会ということもあり、OBOGの方々がこぞって参戦することで近年高齢化が著しい大会です。

 どれくらい高齢化しているかについては既に具体的に分析してくださったブログがあるのでそのリンクを貼ります。

 

「ざかんの雑感2020」ー弁論ブログ

https://benron.hateblo.jp/entry/2020/02/23/232601

 

 この年の大会も例に漏れず高齢化著しく、それでいて参加チーム数の母数が少なかったので、必然的に少ないブレイク枠を多くのチームが奪い合うという、まさしく血で血を洗うような激戦必至の大会でした。

 私自身最近はあまり下馬評とか事前のオッズみたいなものは気にしなくなってきているのですが、この頃はどちらかというと直前連絡で回ってくる参加者リストを見て絶句している民でした。

 「え、既にブレイク確定レベルのところ10チームくらいいるじゃん?」みたいな、冷静に考えるとなんの意味も生産性もない、単に不要なバイアスを生むだけの不毛な行為ですね。ブレイク確定、なんてことは(ディベートという競技の特性上)絶対にないし、誰が相手でもやることは同じですから。

 

 そんな戦々恐々としたメンタルの中、それでもそれなりにチームでの練習を重ねた私達は「ブレイクすっぞ!」「全員ころすぞ!」という確固たる殺意を胸に大会に挑みました。

 

 R1は勝ち、R2で(このブログで何度も登場した、自分が尊敬してやまない)恩師のチームと当たって負け、R3は泥沼の末勝ちと、R4はなんとかバブルラウンドに滑り込むことができました。

 

 

 閑話休題

 最近はvetoもタブ上で完結できる便利なタブソフトも登場していますが、この時に使用されていたのは従来通り対面でのvetoが必要なタブソフトでした。

 これって当たり前ですが、対面って一番びびるんですよ。や、単に自分がコミュ障っていうだけじゃなくて、その時点で対戦相手が分かってしまうので、プレパのメンタルがそれに左右されてしまうんです。あんまりよくないことだなぁというのは分かっているのですが、自分はそこら辺が小心者というか、対戦相手によってめちゃくちゃメンタルがブレてしまうタイプの人間です。

 この大会のR2で恩師と当たった時も「えぇまじか……嬉しいし楽しみだけどあの人と当たるのか……」みたいに、複雑な心境でプレパに臨んでいました。

 閑話休題終わり

 

 さて、R4。

 マッチアップが発表されて、チーム名を見て対戦相手を探してORを見渡して、そこで息が止まりました。いや正確には、(あれ、このチーム名って確か……)と薄々勘づいてはいたので、息が止まっていくのを認識しながら、嫌に高まる心臓を抑えるのに必死でした。

 

 対戦相手のチームはどの方も強くて、中でもそのうちの1人、自分のディベート同期はこの時期めちゃくちゃ強くて実績をめちゃくちゃ残しているディベーターでした。

 で、その同期が一言、

 

「あれ、けろ3勝?」

 

 この時点で自分達は2勝1敗だったので「いや、俺らは2勝だけど、そっちは2勝?」と聞き返すと、「俺らは3勝」と返されました。

 

 

(あ~~~~これが噂のバブルでのプルアップか~~~~~クソが~~~~)

 

 

 何度も言いますが相手が誰であろうとやることは同じですし、タブのマッチアップを恨むというのはお門違いです。運を恨む暇があったらその分リサーチしたりプレパ練した方がはるかに合理的な時間の過ごし方です。

 

 ただなんというか、自分のメンタリティ的に「ここでプルアップかよ……」と思ったのは事実でした。ここではプルアップの仕組みについては触れませんが、要するに大会によっては同じ勝ち数のチーム同士が当たらないこともある、ということです。

 あとから分かったんですが、この大会のプルアップの方式は「ランダム」、つまり2勝チームの中から完全にランダムでプルアップチームが決まる、というものでした。

 

 3人が3人とも実績を残していて、この大会でも既に3勝と、いわば下馬評でも(現在進行形の)実力面でも(自分にとっては)格上のチームとバブルで当たるということに、絶望半分殺意半分といった心境だったのを覚えています。これは今だから言えることですが、マッチアップがわかった時に「よっしゃ絶対にぶっ倒してやる」という純然たる殺意と同じくらい「あ、負けるかもしれない…」という冷たい諦観を抱きながらプレパ部屋に向かいました。心のどこかが冷えていく感覚、といえばいいのでしょうか。

 

 それでも私もパートナーもめちゃくちゃに燃えていたし、モーションも自分達好みのモーションかつやりたいサイドだったので、とても熱量のあるプレパ時間でした。

 

 自分達にとってはブレイクが、相手にとっては4勝ブレイクがかかった一戦は、めちゃくちゃ楽しかったです。チェアのジャッジが(Ep.1とEp.2で軽く触れた、フレーミングの資料を書いてくださった)尊敬している先輩だったということもあり、自分のセカンドスピーチにも相当熱が入ったのを覚えています。

 

 予選が終わって、R2で当たった先輩たちのチームと近くの居酒屋でセルフブレイクナイトをする流れになり、心の落ち着かないドキドキ感をアルコールで誤魔化すことにしました。

 

 

 この時のことは今でも忘れません。

 

 ブレイク発表予定時刻になった瞬間から数10秒おきに大会のFBページを更新し、ブレイク発表のポストが流れた瞬間。

 

 自分達のチーム名を12th break、つまり最後のブレイクチームのところに見つけた瞬間。

 

 自大学の(苦楽をともしてきた)後輩にとっての初めてのブレイクだとわかった瞬間。

 

 反射的というか、自分でもびっくりするくらいの大声が出ました。そして店員に怒られました。ごめんなさい。

 パートナー2人は泣くし、自分は涙を堪えながら押し寄せる感情を処理しきれなくて、そんな中ブレイクを知った知り合いが続々とLINEで「あのバブル切り抜けたのほんますごい」的なお祝いの文章を送ってくれて、一緒にいた先輩たちの嬉しそうな表情もあいまって本当に多幸感に包まれた時間でした。

 

 

 自大学の後輩とオープン大会でブレイクする。

 

 

 口にしてみればなんてことはない目標かもしれませんが、自分達の大学にとってはこれがとにかく難しくて、達成できないまま自分は卒業するんじゃないかっていう思いもあったので、本当に嬉しかった。QDOのパートナーとももう一度ブレイクすることができて、端的に言って「最高」って感じでした。

 おまけにジャッジしてくださった先輩が直々に「超絶うまかった」「メタディベート良かった」とお褒めの言葉をくださって、感無量極まれり。

 

 ブレイクラウンドは初戦でR4の相手と再戦するとかいう展開になり、ここで負けてしまったので最終成績はPre-Quarter Finalistでした。

 

 

 その上、個人アワードで自分の名前と自大学のロゴがスクリーンに映し出されて、にわかには信じられないといった思いでした。

 

 

 長年部を支えてくれた後輩と出場する最初で最後の大会でブレイクできて、なおかつ個人でアワードをもらうこともできて、負けたのは悔しかったけどそれ以上に怒濤の嬉しさでした。

 一番嬉しかったのは、自分の名前と大学のロゴが出た瞬間に、会場全体が沸き立ったことでした。周囲から飛んでくるお祝いの言葉は、気恥ずかしかったけどとんでもなく嬉しかったです。

 

 

 

 

2.厨二病患者、西へ

 既に完全に自分語りな上に語彙力がミジンコと化しているので、次の話題に移りましょう。

 

 次の大会、The Kansaiには成蹊大学の後輩と大阪府立大学出身(?)の先輩と出場しました。

 プレパ練の時から相性の良さというか、会話のリズムの楽しさを十二分に感じていて、「こーれは楽しいチームだぞぉ」というワクワク感でいっぱいでした(*4)。

 

 

 なによりもこのチームは全員が厨二病患者で、チーム名を「千手の涯 届かざる闇の御手 映らざる天の射手 光を落とす道 火種を煽る風 集いて惑うな我が指を見よ 光弾・八身・九条・天経・疾宝・大輪・灰色の砲塔 弓引く彼方 皎皎として消ゆ」とかいうクッソ長いものにするくらいにはぶっ飛んでました。ちなみにこれはBLEACHの鬼道の1つ、千手皎天汰炮の詠唱です。オサレですね。

 

 

 

 R1でいきなり強いチームと当たって負けてしまい、あとがない状況での予選は常に緊張感とヒリヒリ感があって、その中をこの3人で駆け抜けられたのはシンプルに楽しかったです。

 

 大会終わりに関西の方々とセルフブレイクナイトに参加し、アットホームな雰囲気でワイワイできて、遠征大会特有の「お祭り感」というか、普段交流のない人たちと関われる非日常感が堪らなかったですね。

 

 確かこの年のThe Kansaiが大会で初めてオンラインでの映像配信という形でブレイクアナウンスメントを行った大会で、ブレイクアナウンスメント特有のドキドキ感をみんなが共有できて本当に素晴らしい試みだなと。

 

 

 先ほどの流れとデジャブですが、あのクッソ長いチーム名がブレイクアナウンスで流れた瞬間の「うぇい!」感は凄まじかった。やっぱり気心の知れた人たちと組んでブレイクできるというのは、いつ経験しても本当に嬉しい。

 

 

 おまけに今度はPre-QFを突破できたのででぃべすすのリベンジもできた気がしたし、院生と社会人というおじさん達のチームに飛び込んできてくれた(当時の)成蹊大学の1年生の後輩の成長を間近で見ることができてめちゃくちゃ良かった。

 

 

 いわゆる「中小大学」3人のチーミングだったけどQFまで進むことができて、なんとなく(これが中小大学の意地や!)みたいな名状し難い感覚で院生1年目を終えることができたのは自分にとって大きな経験だったと思っています。

 

 それまでの自分は、どこか大学名とかそういうのに変に意識を向けすぎていて、自分の中にコンプレックスのようなものができていた気がします。それは仕方のないことだと思うけれど、いつまでもその感覚を抱いたままだと多分どこかで競技を辞めていたかもしれないし、社会人になった今もこうして細々と競技を続けられているのは、単に競技が好きというだけではなく、この頃の意識の変化も少なからず影響しているように思います。

 

 

 そしてなにより、このThe Kansaiで自分史上「最高に合う人」とチームを組めたのはなによりも大きな出来事だったなぁと。

 過去のブログ記事でも触れていますが、このとき組んだ大阪府立大学(?)出身の先輩とのプレパは本当にスムーズかつ無駄がなく、「お互いに抜けていた穴を埋め合う」ことができていました。自分が主要な対立軸と双方のケースを洗い出して、この先輩がひたすら細かく話を詰め続けるという分業は、お互いのディベート観が分かれていたからこそあそこまで綺麗にはまったんだなぁと。自分がディベートをしていく中でどうしても得られなかったものを持っている方だっただけに、この大会は今でも大事な思い出です。

 

 

 こうした経験をできたのは、きっと良い意味で自分が「中小大学」という場でディベートを始め、続けてきたからなのではないかな、と思います。

 

 と、院1年のAsianシーズン、ましてや2大会についての思い出をだばだば~っと書くだけで凄まじい文量になってしまいました。おまけに語彙力の低下が著しい。

 

 でも当初の予定通りこの内容を1回の記事にぎゅぎゅっと詰め込むことができたので、次からの更新は最後の1年について触れていけそうです。

 

 

 更新としてはあと3回程度を予定していますので、残り数回、ごゆるりとお付き合いください。

 

 

 

 それでは。

 

 

 

*1:私が3年生の時も、アクティブに大会に出るのは私の代で(私を含めて)2人前後、2年生の代で2~3人、1年生の代で4~5人といった具合でした。これでも近年の中では多い部類で、ここ数年はあまり大会に参加している姿を見かけませんね……

 

*2:後輩といってもお互いタメ口だし接し方はフランクだし、普通にマブダチというか悪友的な存在です。

 

*3:Ep.6で軽く触れましたが、私は現役時代、後輩と組んで大会に出たことがほとんどありませんでした。これは本当に後悔してもしきれないことで、やり直せるならやり直したいと思っていることの1つです。この後輩とはめちゃくちゃ仲が良く、よく一緒にプレパ練をする仲だったんですが、なぜか大会に一緒に出たことはありませんでした。私はよく同期や別の(私達についてきてくれた)後輩と大会に出て、彼女は別の後輩と大会に出ており、「大会前によくプレパ練をするのに大会には別のパートナーと出場する」という珍しい関係性でした。

 

*4:ディベートの相性の良さ、というだけではなくて、話が合うというか、笑いのツボやキャッチボールのテンポがぴったりで、話していてストレスが一切ない素晴らしいチームでした。