ゼロから始めたディベート史 Ep.1『ゼロから1を生む日々』

 どうも、ディベート界の異端児けろです。

 

 

 はい。前回でやっとEp.0が終わり、やっとお話が前に進みます。おせぇ。

 Ep.1の時点で既に学部2年生の後半なのはご愛嬌ということで。 

 

 

Ep.1『ゼロから1を生む日々』:学部2年秋〜学部3年春

0. はじめに

1. けろ、大会でBPを練習する

2. けろ、ビギナーズラックで調子に乗る

3. けろ、JBPで現実を知る

4. けろ、大会運営に従事し始める

 

0. はじめに 

 そういえば自分、学部3年くらいの時に金髪にしてたんですよね。

 それもかなり白に近いレベルまで色抜いて、その上でピアスしてディベートしてました。当時としてはめちゃめちゃ浮いてました。いや今もかもしれませんが。

 

 でもなんていうか、自分のしたいファッションとか格好とかでディベートするのって楽しいんですよ。そりゃもうめちゃめちゃ。

 大会前に古着屋でかっちょいいシャツ探したり、アマゾンでイケてるピアス探したりするの、どう考えてもスピーカースコアに1ミリも影響しないどころか練習時間を若干削っているって意味ではマイナスな気がするんですが、大会朝にビシッとお気に入りのシャツとピアスでキメた瞬間の精神衛生が良いのでこれからも大会前は服とピアスを模索します。

 ちなみに最近のお気に入りはZARAで買った花柄のシャツに黒のネクタイを合わせて黒のスキニーを履き、シンプルなリングピアスを合わせるファッションです。

 

 春になるし新しい白シャツとか買おうかなぁと思うものの、今現在想像を絶する金欠だということを思い出し、今日も元気に自炊をします。

 

1. けろ、大会でBPを練習する

 前回、夏セミとESUJでディベートの楽しさ・中毒性に気づき、そこからどっぷりディベートに浸かった自分は、とりあえず直近の大会のインビテを全部送り(興味本位で出たいと言って既に送っていたものもあり)、出場可能な大会には全部出場することにしました。

 覚えてるのだとBP Novice、大沢杯、凌霜杯、Japan BPあたりは全部出ました。

 

 

 ところで皆さんは、大会前はどうやって練習していますか。

 プレパ練やスピ練、ラウンド練やリサーチ等、人によって様々だと思います。

 今だと自分はプレパ練と個人でのスピ練を中心に回していて、直前にラウンド練で修正をかけていくっていう感じで練習をしています。

 これは人によってかなり差があると思いますが、概ね自大学の練習に行って、その日やった論題を復習したり、というのがベーシックな練習で、大会前はそれに加えて個人練習をしたりするのでしょうか。

 

 さて、ここで僕の所属大学こと神奈川大学の当時置かれていた状況を振り返ってみましょう。

 プレパ練……やり方を教えてくれる人がいない/やり方を知らない

 スピ練……見てくれる先輩がいない

 リサーチ……「何がわからないかがわからない」状態で、そもそも何から始めればいいかわからない

 

 ラウンド練……B P を 知 っ て る 人 が い な い

 

 最後が一番やばくて、そもそも部内でBPを知っている人がほとんどおらず、いても「ルールくらいなら……」程度の認識でした。

 一応(長年苦楽を共にした)パートナーと、その他多少のやる気があった同期数人で一度JPDU練習会に行き、レクチャーを受けたことはありますが、そもそもディベートのノウハウが圧倒的に欠如している状態で「エクステンション」「ウィップ」という新しすぎる単語を聞き、未開の地の住民と化してました。まじでレクチャラーが何を喋っているのかわからない。いや、正確には、「これが何か重要なことであるということはわかるが、その運用の仕方がまるでわからない」という状態でした。

 

 この時期は次の代の執行部決めやESS全体のイベントやらで忙しく、そもそもコネクションが少なかった他大学にすら行けてなかったので、大会前はまじであたふたしてました。

 なにせ部内で「大会に出る人用の練習」のようなものが一切存在せず、その他大勢の部員に合わせた練習しかやらないので、練習を回す上で(かつ運営として)楽であろうNAスタイルしか展開されないんですよ。いやまじで。

 

 その結果どうなるかというと、「BPの大会にBPを練習しに行く」という状態が出来上がるわけです。

 

 エクステンションの出し方も、ウィップで何を出せばいいかもわからないので、とりあえず思いついた、なんとなく言えそうで、それでいて新しそうな話を撒き散らすんですが、これがまぁ評価されない。

 いや、冷静に考えて当たり前なんですよ。なにせ"relevancy"とか"principle"という概念が自分たちの中に存在しないので、「マリファナを合法化すると核戦争が起こる」くらい証明責任が重いアーギュメントを展開したり、「このモーションはこの例と同じだからダメ!」みたいにアナロジーとイラストだけぶん投げてロジックを一切話さない、みたいなことを乱発するわけです。

 それでもたまにジャッジの琴線に触れる話があったり、「ここをこうすればいいエクステンションになったと思う」と好意的なフィードバックをもらうことができたりして、まぁ順位は4位4位3位、みたいな散々な結果だったりはしたんですけどそれなりに収穫もあったりしました。

 

2. けろ、ビギナーズラックで調子に乗る

 そんなこんなで無事BPの練習機会を(大会で)獲得することに成功した僕たちは、11月末に神戸で開催された凌霜杯で初の遠征を果たします。当然会場での知り合いはゼロです。なので誰と当たったのかとか、ほぼ覚えてません(もちろん覚えていることもありますが)。

 この大会で僕たちKU Aは、2位→4位→2位→1位という順位を取り、17位になりました。16位、最後のブレイクチームとのスコア差は確か7点くらい。

 

 え、まじで?

 

 これが最初の感想でした。確か夜行バスで最終的な順位知ったんですけど。

 そういえばR1は(COにベンチwinにしてもらったとはいえ)当たり前のことを話してたし、R3も(スカスカなコンストだったけど)POIのアナロジーで相手殺せてたりしたし、R4は(COで意識せずに建てていた)even ifケースのエクステンションがめちゃめちゃ評価されてたなぁなんて思い返して、ブレイクまであと少しだったじゃん!とパートナーと悔しさ半分、喜び半分を分かち合ってました。

 

 

 正直めちゃめちゃ嬉しかったですね。

 いやお前リザーブドやんけって思われるかもしれませんが、この2ヶ月くらい前までprincipleとかAREAとかロクに知らなかったにしては上出来じゃね?むしろすごくね?くらいに思ってました。

 

 

 いけるぞ俺たち。もしかしたらいけるかもしれないぞ。

 

 

 みたいな気持ちが、心のどこかにありました。

 

 

3. けろ、JBPで現実を知る

 と、盛大な前振りをしました。えぇ、もちろん盛大なしっぺ返しを食らい、現実に打ちひしがれることになります。

 凌霜杯の1〜2週間後に筑波大学で開催されたJapan BP 2014に同じパートナーと再びKU Aとして出場しました。

 (ちなみにこの当時、ディベート界の知り合いといえば横国・横市の方々と、ごく一部の他大学の人くらいでした。なので、誰が上手いとか、誰がすごいとか、まっっったく知りませんでした。よくいえば「オーソリバイアスがゼロ」、悪くいえば「世間知らず」です)

 

 前述のように凌霜杯でそこそこの結果を収めることができて、今回ももしかしたらいいとこまでいけちゃうんじゃない?!みたいな気持ちを心の奥底に抱いたまま参加しました。

 

 

 KU A

 4位→2位→4位→3位:3点

 全体順位 71 / 76位

 個人順位 142 / 152位

 

 

 まじか、みたいな乾いた声を出した気がします。

 「いやぁ、渋いね」みたいな言葉をパートナーと掛け合って、意気消沈しながらつくばエクスプレスで帰路に着いたのを覚えてます。

 

 中でも一番ショックだったのは、R1でつけられた67点というスコア。

 自分の尊敬する方がジャッジで、「よっしゃ頑張るぞ」と意気込んだ結果がこれです。特に、イントロまではジャッジの方も頷いていたのに、その後6分30秒くらいずっとしかめっ面をしていたのが今でも鮮明に思い起こせます。

 

 まぁ、国民健康保険の保険料に関する論題で「払いたくない奴が国外に逃亡して保険のシステムがうまく回らなくなる!」みたいなエクステンションをCOから出されたらそんな顔にもなります。多分目の前でヨサコイソーラン踊っても同じ顔になったと思います。きっと自分は7分間ヨサコイソーラン踊ってたんだと思います。ハーソイヤソイヤ。

 

 正直、これが自分たちの今の実力で、今の神奈川大学が置かれた実状なんだと痛感しました。凌霜杯の結果はラッキーにラッキーが重なった結果生まれたビギナーズラックで、本当の実力はこっちなんだな、と。

 

 このままではいかん、と思い、ここから春休み期間に一念発起して春セミに参加、初めてオープン大会であるディベートのすすめにジャッジで参加し、ど素人2年生3人でICUTに参加する、くらいのアクションは起こしました。

 まぁ今思い返すと死ぬほど大したことないアクションでしかないんですが、それまで殻に閉じ籠っていた立場からすると大分大きな変化だったんですよこれが。

 

 この時参加した春セミが、実は後々非常に大きな影響を及ぼすんですが、それはEp.2で。 

 

 

4. けろ、大会運営に従事し始める

 とまぁ、春休みをディベートに充てたからといって7分間ヨサコイソーランを踊る症状が完治したわけでもなく、かといって他のダンスの踊り方を知っているわけでもなかったので、どうしたものかと。

 

 と、3年生に進級するかしないかのタイミングで、春セミ学習院大学の同期に「運営やってみない?」と声をかけられたのを思い出した自分は、「そうか、他大学とのコネクションを作るには大会を運営するのが一番じゃないか!」と思い至り、早速春Tの運営に立候補します。

 

 

 まぁこの大会運営、そもそもの大会の動き方を知らない若造の自分が従事するには踏まなければならないステップが多すぎたので物の見事にパンクしたのですが、それはここでは割愛します。TDをはじめとする運営のみんな、当時は本当に迷惑をかけてすみませんでした。

 あと、この春Tの日程がESSの新歓イベントと被っていたこと、かつ自分がESSの幹部職に就いていたことが原因で他の幹部たちと血で血を洗う舌戦を繰り広げたりもしたんですが、それもまた機会があれば。

 

 

 さて、当時金髪で、誰がオーソリで誰が何年生なのかすら知らなかった、恐れるもののいない自分が取った行動とはどのようなものだったのでしょうか。

 

 それは

 ・手当たり次第に大会の運営を引き受けまくる(2015年度の春T、Pre-Australs、夏セミ、秋T、BP Novice、春セミ)

 ・大会で一度ジャッジしてもらった人・対戦した人ほぼ全員にFBの友達申請を送る

 ・次の大会でその人に会ったら半ば強引に話しかける

 ・なんならその人が話している人がいたら、他人でも話しかけて顔を覚えてもらう

 

 等の圧倒的急進派活動により、ネズミ講もびっくりの勢いで知り合いを増やす、というものでした。

 多分今の自分が同じ行動を取れるか?といえば全力でノーです。そこまでの体力は今の自分にはありません。

 

 おそらくこの当時のディベート界、ならびに同期界隈には、「なんか金髪のヤベェ奴が最近ディベート界にいるぞ」みたいな噂が流れていたと思います。ごめんなさい僕です。突然馴れ馴れしくしてごめんなさい。

 

 この行動のおかげか、おおよそ夏を過ぎる頃にはディベート界にいる方々の6〜7割くらいには顔と名前、所属大学を覚えてもらうことに成功しました。

 半年前には「神奈川大学ディベートやってたんだ」という言葉をさらりと投げられていたことを考えると、我ながら大した進歩だと思います(*1)。

 

 

 はてさて、神奈川大学が抱えていた問題の一つ、「コネクション不足」という問題は無事解消されました。ゼロが1になったよ。やったね。

 次は「リソース不足」「エジュケ不足」といったディベートの技術的な側面の改善です。

 こうした問題を自分たちがどのように解決していったのかは、また次回。

 

 

 それでは。

 

 

*1:ただ、このコネクション普及活動があまりにも急進的で過激すぎるものであったため、後輩が真似をすることができず、結果として「神奈川大学=けろ」というあまりにも長続きしない図式が完成してしまう要因となりました。コネクション、部の基盤作りをするときは、それが持続可能なものであるかを検討しましょう。SDGs!!!!