ゼロから始めたディベート史 Ep.0-2『長い旅路の始まり』

 どうも、ディベート界の中間管理職けろです。

 先日公開したEp.0-1が思いの外多くの人に読んでいただいて何よりです。

 若干の思い出補正はありますが、あれはほぼほぼノンフィクションです。そして現在進行形の状態でもあります。もちろんAREAやプリンシプルは自分が外部から輸入して半ば強制的に定着させましたが、それでもリフレクの質等の改善点は割とそのままなのが自分たちの代で改革に失敗した点ですね。

 まぁ、ESSのディベートセクションという、様々なモチベーションを持った色々な層の部員で構成されるという特性上、あまり過激な改革はできなかった、というのが正直なところです。ぶっちゃけてしまうと、「ディベートセクションを名乗ってて、4つの中からそれを選んだならディベートしろよ!嫌なら他所に移るか辞めろ!」というのが心の奥底にある本音なのですが、それを言うと悪者になるのは民主主義的にぼくらなのが民主主義の難しいところですね。

 なんでディベートセクションの活動内容を、ディベートに熱意のない部員に合わせなきゃならんのだ……という愚痴は、恐らく居酒屋で夜が明けるまで語れるのですが、まぁその悩みは早いうちから投げ捨てましたね。やる気ある後輩にはひたすら「他大練に行け。大会に出ろ。レクチャーを受けに行け。ウチに留まってたら強くなれんぞ」って言い聞かせました。まぁ部の運営に関しては、また機会があれば。

 

 

Ep.0-2:学部2年夏〜秋

『長い旅路の始まり』

0. はじめに

1. 夏セミでの出会い

2. みなとみらい杯

3. ESUJでの衝撃

 

0. はじめに

 今も昔も、自分のディベート人生は多くの心優しい人に支えられてきました。ジャッジがいなくて困っている時や、スランプに陥った時、レクチャーや大会運営等々、列挙していくとキリがないほど本当にたくさんの人の支え・応援があったおかげで6年もしぶとく続けることができました。

 ブログで取り上げるときは(一応このブログは全世界にオープンなので)具体的な個人名は伏せて書きますが、きっと読む人が読めば「あの人だな笑」ってなると思います。そんなところも楽しんでいただければ、と思う次第です。

 

1. 夏セミでの出会い

 奇跡的に情報が回ってきたジェミニ杯が、パートナーの都合で出られなくなった後、なぜか回ってきた(あるいは自分が勝手にPDMLに登録して知った?この辺りの記憶が曖昧です)情報を聞きつけ、「3日間も泊まり込みでディベート学べるとかヤベェ笑」みたいな軽いノリで、ディベートに比較的やる気があった自大学の同期2人を誘い、JPDU主催のSummer Seminar、通称夏セミに参加しました。2014年の夏です。5年前……。

 中級で申し込んだのは覚えていて、運営の取り計らいか同期2人と仲良く同じラボに入りました。

 めちゃめちゃ衝撃的でした。いろんな大学の人がいて、すごいレクチャラーの人がたくさんいて、モデルディベートなんて鳥肌立つくらいかっちょよくて。うおーディベートってめっちゃかっちょいいやんけ!って思ったのがこの夏セミでした。

 

 

 そして何より。

 

 ここでのレクチャラーとの出会いが、自分のディベート人生の転換点の一つでした。この夏セミに参加してなかったら自分は多分途中でディベートを辞めているか、そもそもディベートにのめり込むきっかけも得なかったと思います。

 当時は早稲田大学の3年生の先輩のラボで、ディベート初心者にとってはなかなかに難しい政治理論を色々と詰め込まれ、当時はチンプンカンプンでした笑

 ただそれでも、色々な理論を体系立ててレクチャーしてくれているということ、そのあまりに輝いて見えたその姿が、自分には眩しく映りました。

 自分にとってその方はいつまでも輝いていて、ファッションもスピーチも最高におしゃれで、直近のGFスピーチはかっこよすぎて震えました。

 その方にディベートのノウハウや様々な理論を教えてもらって、その日の夜にモデルディベートを見て、「ああいうディベートをしてみたい」と強い思いを抱いたのが、自分がディベートにのめり込む一つの大きなきっかけです。

 

JPDU夏セミナー2014 モデルディベート - YouTube

 

2. みなとみらい杯

 今や歴史の陰に消えてしまったこの大会、とっても懐かしいですね。

 多分現役生でこの大会の存在を知っている人はいないと思うんですが、当時の自分たちにとってはとても思い入れのある大会です。

 というのもこの大会、神奈川大学横浜国立大学横浜市立大学の3大学だけで開催する所謂インナー大会なんですが、オープン大会みたいにハードルが高くない、身内感のある1年生大会なので神奈川勢にとってはとってもありがたい大会なのです(*1)。

 2年生以上はジャッジか大会運営なのですが、自分は2年生のこの年、ジャッジとして参加しました。

 ジャッジ自体は夏休みの高館杯だったり、夏休みくらいからぼちぼちお邪魔させてもらうようになった横国での練習だったりで経験はあるものの、誰かから教わったわけではないので、見よう見まねって感じでした。

 自分を可愛がってくださった横国のある先輩が呼んでくれた東大、ICUの先輩2人とお近づきになることができて、東大の先輩にはパネルとしてジャッジを教わることができて、すごくいい経験だったなと思います。またひとつ、外の世界に繋がりができた瞬間でした。

 

 余談ですが、この大会で知り合ったICUの先輩と、夏の練習で知り合った横市の先輩にお願いする形でその年の梅子杯のジャッジを賄うことができたので、感謝してもしきれないです。人の繋がりって本当に大事だなぁと思った瞬間です。

 

 

3. ESUJでの衝撃

 と、ここまでがおよそ2年生の夏までの出来事。読んでいる方の中には薄々気づいている人もいるかと思いますが、ここまでの2年間で自分は一度もオープン大会に出ていませんでした。出た大会といえば、1年生のみなとみらい杯と2年生の高館杯(*2)。要するに他大学の先輩や同期と火花散らして殴り合う、みたいな経験をせずに2年生の10月くらいまできてしまったわけです。

 初めて出場した公式大会は、ESUJというNAスタイルのオープン大会でした。申し込み時期は4〜5月だったので、確かジェミニに出れなかった同期と一緒に出てみようよ!というのが出場の動機だった気がします(この大会の情報を回してくれたのは前回のブログの梅子エリミネの際に怒っていた4年生の方です。単位取得、もとい卒業に失敗していたのでこの年も4年生だったのがじわじわきます)。

 

 衝撃でした。

 モーション発表も、そこに集まっているスーツを着たディベーターも、今まで味わったものとは全然違って。みんなの目が勝利を求めるって感じに燃えてました。かっちょいい。

 大会前は、「俺らでも勝てるんじゃね?」みたいに甘っちょろい考えを持っていたのですが、R1、R2でぶちのめされて、「甘すぎワロス」って感じでした。

 R1、R2のリフレクをもらってる時も、あ〜どうせこのまま勝てないんだなぁって思いながら聞いていて、ちょっとだけ、どこか冷めている自分もいたような気がします。

 

 そんな中臨んだR3。モーションはThis House opposes services which separate women for the purpose of protection. (e.g. women-only cars)でgovでした。

 まぁ結果は普通に負けたんですけど、自分にとってこの大会で一番の衝撃はこの後でした。

 ジャッジとして来ていた、とある大学のOBの方。日本人なのにあだ名が横文字でじわじわきましたが、この人との出会いが自分にとって本当に衝撃的でした。

 リフレク聴いてる時に、自分たちのチームが「これ何言えばよかったんですかね」って聞いたら「逆に何言えると思う?」って聞き返されて。いや、あの、こちとら学年だけ2年生のひな鳥やぞってイラっとしましたが、なんか癪だったのでR4終わった後もパートナーとずーっと考えてました。

 会場がオリンピックセンターで、自分たちは家が横浜方面だったので、東急東横線にに揺られながらああでもない、こうでもないってひたすら思考し続けてました。

 

 電車が菊名駅に着くか着かないかってところで、「これじゃね?!」ってひらめきが自分とパートナーの頭を駆け巡って、痺れるような快感を感じたのを今でも鮮明に思い出せます。アハ体験ってこういうのをいうんだろうな、って思います。まじで。

 思いついた瞬間に脳の中で快楽物質がドバッて溢れたような、どうしようもないほど気持ちのいい感覚が流れて、思わず声が出ちゃってました。「ヤベェ」「キタコレ」みたいな。

 

 あの瞬間のあの快感は、きっとジャッジの方からケースを全部教えてもらっていたら到底味わうことのできないものだったと思います。

 あの時、あの場で、あのジャッジさんが「人に聞く前に自分たちで考えなよ」ってイジワルな笑みを浮かべて言ってくださらなかったら、きっとあの快感を味わうことは永劫なかったことでしょう。

 

 

 ハマりました。その瞬間に。物の見事に。

 ディベートという競技の中毒性、話が思いついた瞬間の快楽・気持ちよさ。

 そういう、自分の知的好奇心や発想の源泉を探り当てる過程の楽しさの虜になった瞬間でした。

 

 

 「ヤベェ、ディベートって楽しいじゃん」

 

 

 学部1年生から2年生の夏までは、ただ漠然と「英語を話している自分」「自大学のラウンドで部員相手にマウント取っている自分」を楽しんでいるだけのイキリ自己満陰キャオタクだったのですが、この時を境に「自分たちで死ぬほど考え、考えに考えた末に答えを導き出す」という、ディベートの本質のようなものに触れる喜びを知りました。

 

 この快感、恐らく大多数のディベーターの方は1年生の早い段階で感じたことがあると思うんですが、自分たちはそれが見事に遅く、なんと2年生の秋に突入してからでした。遅咲きというか、2周くらい遅れたスロースターター。

 

 かくして、自分とパートナーの旅路が始まったわけです。

 コネクションゼロ、リソースゼロ、先輩からの建設的なエジュケゼロという、まさしくエピソードゼロと呼ぶに相応しい門出を迎えたわけですが、自分たちが歩むことなる道のりはまぁお察しという感じです。

 

 ここまでが僕たちが「ディベートごっこ」を卒業し、「ディベート」を始めるまでのお話。 

 「ディベート」を始めた僕(たち)が、ここから5年をかけてどのような道を歩いたのかは、次回のEp.1からゆっくり書こうと思います。

 

 それでは。

 

*1:1日大会で、3R+GFという形式のNA大会でした。ブレイク発表もあったりするので意外と熱い大会で、神奈川勢の夏の風物詩だったりしたんですよ。懐かしいなぁ。 

 

*2:首都大学東京(TMU)主催のNA1日大会。毎年8月上旬くらいに開催されてました。銀杏杯のちょっと前くらい。上級生+1年生というチーミングがマストの大会で、2Rディベート、 1Rはジャッジという形式の大会で、大会というより先輩が後輩をエジュケする、という節が強い大会です。ここ最近は開催されてないのが悲しいですね…。