ゼロから始めたディベート史 Ep.4『クソダサいロゴ』

 どうも、ここの書き出しの文章が「社会人までのカウントダウンが迫り、震えています」になっていて「コイツほんと学習しねぇな、いっぺん死ぬか?」と思っています、けろです。

 

 本来だったら春休み中に書き終えたかったな、というそもそも実行不可能だった遺言、もとい言い訳をここで供養させてください。無計画・ガバガバスケジューリング能力でまじごめん。

 

 

Ep.4『クソダサいロゴ』:学部4年夏〜冬

0.はじめに

1.インバイトだらけの大会

2.Nationalsという舞台

 

0.はじめに

 前回のブログ記事を書いていて、そういえば最近はブレイクナイトというものが開催されていないなぁということを思い出しました。

 いや、別にブレイクナイト開催しろ!という懐古厨平成一桁世代並老害意見を言いたいのではなく、いい感じにコミュニティとプラットフォームがシフトしているなぁ、と思ったので。

 

 実際問題、ブレイクナイトを開催するのって運営側にプラス要素がほとんどないんですよね。参加者を募ったり大会会場近くで貸切可能なパーティ会場を探して、R4が終わったらすぐに参加者の誘導とアナウンス用のスライドを作って、自分たちはお酒や料理を楽しむ余裕もなくドタバタの夜を過ごして2日目へ、ということを考えると、ブレイクナイトを開催しないというだけで運営の負担はだいぶ軽くなるといってもいいのではないでしょうか。

 

 加えて、割と参加者側からしてもブレイクナイトは割りに合わない、という声もあります。場所が大会会場に近ければ遠方参加者は帰宅時間が遅くなるし、逆に離れているとアクセスが悪く行くモチベも下がるし。おまけに参加費高いし、時間も限られているので料理と雑談がトレードオフになりがちだし。

 

 そう考えると昨今の流れはかなりどちらにもフレンドリーだなと思います。

 Facebookyoutubeを使ったストリーミング(The Kansai 2018が最初の試みだった気がします。その後梅子杯やKK Cup、The Kansai 2019等、色々な大会で導入されていますね)は、参加者が各自でセルフブレイクナイトを開催していても同時刻に見ることができますし、運営側もすきな場所から流すことができるのでかなりコスト削減できますよね。

 おまけに、従来のブレイクアナウンスと同様の興奮やワクワク感を味わうことができるので、ぜひ今後も続いてくれると嬉しいなぁと思います。

 

 

  1. インバイトまみれの大会

 

4年生の春といえば、本来であれば就職活動に勤しむ時期のはずです。

 春休みの時点で大学院進学を念頭に置いていた自分は、就職活動はせずに院試に向けた勉強と、卒論執筆にあたっていました。まぁ自分は長期的な計画性がない人間なので、この頃がちょうど中だるみの時期だったんですが。

 

 この時期に、ジェミニ杯にジャッジとして参加することが決まっていた自分は、ここである目標を立てました。ジェミニ杯でジャッジとしてブレイクし、実績を一つ残すこと。

 決まってからの自分の行動はシンプルでした。なにせジャッジとしての経験値が圧倒的に足りていなかったし、とりわけ他大学のディベートに触れる機会が圧倒的に不足していたから、とりあえず多くのラウンドに触れて、多くのディベートを見ようと思ったのです。学部3年の夏休みにラウンド練を駆け回った時と同様、他大練をはしごする追い込み戦法。人は学習しない生き物ですね。ほんとに。

 

 月曜と水曜は慶応の練習、火曜は早稲田の練習、木曜は自大学の練習と、おおよそ院試を夏に控えている/卒論を執筆している人間のスケジューリングとは思えないのですが、大会前の1ヶ月くらいこの練習スケジュールで走り回ってました。

 とにかくいろんなラウンドをジャッジして、とにかくオーラルでのRFDを練習して、ときには他大学の知り合いにそれを採点してもらって、大会前の練習はひたすらマラソンしてました(*1)。

 

が、大会前にほんの少しの成長を感じていた自分は、大会2日前に絶望します。それは、コンフリクト申請用に送付された大会参加者リストを見たときのことでした。

 

 

 

 

「え、インバイト多くない……?」

 

 

 

 

 大会では、ジャッジプールの質を担保するために特に実績のあるジャッジを招聘することがよくあるのですが、このときのジャッジプールはいつもの大会の比じゃなかったと思います。

 というのも当然で、ジェミニ杯の参加対象者が2年生以下である以上、必然的に3年生以上の上級生はジャッジとして参加することが多いわけです。

 それはもう、びっくりするくらい上級生がたくさんいました。院生から社会人まで、インバイトだけでかなりの人数がいたと思います。それも、とても素晴らしい実績を残されている方ばかりでした。

 

 そりゃACとしては少しでも参加者の満足度を高めたいし、バブルラウンドに投下するジャッジは信頼できる人で固めたいはずです。ディベーターとしても、いいジャッジにいいフィードバックをもらったり、肝心要のラウンドでは信頼できるジャッジに見てもらいたいというのが普通の反応です。

 ただ、当時ほとんど実績を残せていなかった、ジャッジブレイクを目標としていた所謂「一般参加層」の自分からしてみれば、このジャッジプールの充実さは逆に仇でした。笑

 いや、そんなの関係ないくらい練習しろよ、と今なら当時の自分に声をかけると思いますが、参加者リストを開いた当時の自分は「こんなんインバイトとACでほとんどブレイク枠埋まるやんけwww」と乾いた笑いを浮かべていました。

  

 っていう声を、ついこの間ツイッターTLでも見かけたので、やはり学年大会はジャッジにとっても一つの登竜門になるのかな、と勝手にエモくなっていました。えもえも。

 

 まぁでも、そういう環境でもやることをしっかりやって、ちゃんと練習した成果を発揮できれば大丈夫と自分に言い聞かせて、大会前日は熟睡しました。ぐっすりと。

 

 

 確か予選当日は、パネルパネルパネルパネル付きチェア、という運びだったと思います。R1で尊敬するジャッジのパネルに入れて、レベルの高いラウンドをみれたりと、予選でジャッジしたところはどこも上手かったのを記憶しています。

 

 この頃のブレイクアナウンスメントは翌日の朝に行なっていたので、自分がブレイクしていることを信じて爆睡しました。ぐっすりと。

 

 

 

 

 

本選の朝。ブレイクアナウンスメント。

 

 

 

 

 

 淡々とブレイクジャッジの名前と大学のロゴがスクリーンに出ていく中、自分はドキドキで心臓が破裂しそうでした。ほんとに。

 

 

 

 

 だからこそ、神奈川大学を表す”KU”のクソダサい青い英字ロゴが浮かび上がり、自分の名前がその横に並んだのを見たときは、会場の中でひときわ大きな声を上げて喜びました。

 いやジェミニ杯って2年生が主役の大会やんけというのが超のつくほどの正論なので、4年生が自分のジャッジブレイクに歓喜しているというのはなかなか場違いかもしれなかったんですが、それでも嬉しかったから仕方がありません。

 ゴリゴリのインバイトジャッジが並ぶ大会で、その中に滑り込んでブレイクできたという事実だけで、卒論の優先順位を下げて練習してきてよかったという思いに包まれることができました。いや卒論は書けよと今ならケツを思いっきり蹴り上げますが。

 周りの知り合いもこのブレイクを祝福してくれて、自分の大学の小っ恥ずかしいロゴに少しだけ誇りを持てた瞬間でした。

 

 

 

 と、これだけで既にお腹いっぱいなのですが、喜びはここでは終わりませんでした。

 本選で自分はOFQFとジャッジさせてもらえて、SFはお休みだったんです。「まぁここら辺でお役御免だろうな。むしろ2ラウンドもジャッジできて光栄だわ」というのが正直な感想でした。SFから上はインバイトの、実績ある人たちで固めるのが定石だろうな、と。

 

 

 SFの結果が発表され、自分がICUのホールでふらふらしていたときに、知り合いからLINEで「GFアロケされてるよ、おめでと」と何気ない連絡が来て、飛び上がりました。

 ORに戻ってスライドを確認してみると、自分の名前がGFジャッジの中に並んでるではありませんか。まじで?俺でいいの?みたいな。

 

 で、冷静になって考えてみると、institutionコンフリクトの関係で、このGFはインバイトの多くが入れないということがわかり、中小大学という、悲しいかなinstitutionコンフリクトというものを抱えることがほとんどないという特性を持った自分はGFに入ることができたのです(*2)。なんというラッキー。

 

 ブレイクラウンド4試合のうち3試合もジャッジすることができて、自分よりはるかに優秀な人たちと一緒にジャッジとして肩を並べることができて、ましてGFという大舞台に自分が関われて、お腹いっぱいを通り越してちょっと苦しくなっちゃうくらい幸せでした。バイキングでちょっと食べ過ぎたあとの帰り道、みたいな。

 

 

 

 仲良しのTDと一緒に賞状を持って写真も撮れて、ほんとうにほんとうに幸せな気持ちになることができた大会でした。練習がんばってよかった。

 

 

 

2.Nationalsという舞台

 

 この年、自分はいつもより少しだけジャッジに重きを置いていたかな?と思います。いや、周りからしたら微々たるものすぎて頭引っ叩かれそうですが。

 3年生の時はディベーターで出た秋TことJPDU Autumn Tournamentにも、自分はジャッジとして出場しました。所謂Nationalsです(*3)。

 なんとなく、この年はディベーターで出たい!っていう欲がなくて、そんな時にFBで他大学がジャッジを募集していたので、自大学の後輩の応援も兼ねてジャッジ頑張ろう、みたいなテンションでした。皆さんもあると思うんですよ、ディベーターで大会でまくってる時にふとジャッジやりたくなる瞬間。まぁジャッジやってるうちにディベートやりたくてうずうずしてくるんですけど。

 

 R1はトレイニー付きチェア、R2で単チェア、R3,4はパネルという運びで予選ラウンドに入ったんですが、まじでBPジャッジって難しいし、だからこそ楽しいんですよ。

 特にR3。感覚的に45点ラウンドくらいのレベルの高いラウンドで、しかもチェアは自分が尊敬してやまない某KDSの先輩。

 ジャッジ自体も楽しかったけど、ディスカッションがハゲるほど楽しかった。いや実際ちょっとハゲたかもしれません。あの時の高揚感は今思い出しても胸がふわふわする感覚です。

 

 他の人の意見を聞いて、その上で自分の意見を述べて徹底的に話し合うっていうのが初めての経験だったので、ジャッジとして参加して本当に良かったなと思いました(*4)。

 

 

 

 

 

 なので、予選が終わった段階でもうお腹いっぱいって感じでした。憧れの人と一緒にジャッジできて、かつてないほどQOL高い予選だったので、家帰った段階で「いや~いい大会だった~」と思ってました。笑

 

 

 

 

 

 

 

 だからなんていうか、自分の名前とロゴがブレイクアナウンスメントで呼ばれることが信じられなかったし、めちゃめちゃ嬉しかった。

 

 

 

 

 

 ディベーターでブレイクしたことないNationalsでジャッジブレイクできて、少なからず自分の実力が評価されたのかな?と心躍りました。

 

 

 

 まぁ、ブレイクラウンドは自分のキャパを余裕で超えてきたので精進が必要だなぁと思ったのも事実で、本選終了後は名状しがたい感情に包まれていました。

 

 

 

 

 と、この後はBP Noviceにジャッジで出場し、運良くジャッジブレイクできたのですが、点数があまりにもぎりぎりで、無事OFで解雇される無念。

 

 

 

 それでも4年生の夏~秋の大会をジャッジで駆け抜け、そのどの大会でも一応結果らしきものを残すことができて、まだまだ至らない点の方が多いし、勉強しなきゃいけないことも多いし、なんなら卒論の進捗は死ぬほどやばいけど、個人としての成長を実感できた時期だったのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 ただ、その時期の過ごし方が「ひたすら現場を走り回る」という、踊る大捜査線の青島もびっくりの現場叩き上げ昭和世代刑事みたいなやり方だったのは今思い返すと悪手だったなと思います。

 

 

 また後述すると思いますが、この頃の過ごし方・練習の仕方が結果として、「神奈川大学」としての成長ではなく、「自分」の成長のみに還元されてしまったので、結果としてウチは「エジュケ」が上手く回らなかったわけです。うまく下の世代にノウハウを引き継げなかったのが心残りですが、それは別に社会人になってからもできることではあるので、その頃の教訓を生かしながら、老害と呼ばれない程度の距離感で少しずつ関われたらな、と思ってます。

 

 

 

 

 では、次の更新がいつになるかはわかりませんが。

 

 

 

 

*1:この頃慶応の練習に行きすぎて、某慶応の知り合いに「最近僕より練習行ってますね笑」と言われたり、練習後の締めの挨拶でナチュラルに自大学カウントされ始めたりしてました。おかげ知り合いがたくさん増えたし、とても楽しい時期だったなと思います。

 

 

*2SFの時点で、片方のブラケットが東大vs東大、もう片方が慶応vs慶応だったので、この時点でGFのマッチアップが東大vs慶応になることが確定していました。そして、この2つのinstitutionには実に多くの、優秀なディベーターがおり、インバイトの中でもかなりの割合を占めていました。特に東大のインバイトジャッジの数はかなりのものだったと思います。おぼろげな記憶ですが。なので、東大と慶応のジャッジが自動的に入れず、結果的に自分が入れた、というのがこのGFアロケの正体です。ラッキーですね。

 

 

*3Nationals、というのはあくまで正式名称ではないのですが、JPDU ◯◯ Tournamentと銘打たれた大会が夏を除いた各季節に開催されているということ、この大会が大学間対抗大会(IV大会)として大きなタイトルを持った大会であるということを含めて、全国大会という意味でのNationalsと呼ばれているのだと思います。春T、秋T、冬T3つですね。冬TことJapan BPはジョイント可のオープン大会なので前二つの大会とは若干性質が異なるのですが、一応Winter Nationalsと位置づけられています。

 

*4:初めて、というのは2つの意味があります。1つは、レベルの高いラウンドを、優秀なジャッジの人と一緒にジャッジをして、めちゃめちゃ有益な時間を過ごすことができたこと。自分の大学ではBPジャッジの経験があるのが自分含めて数人で、BP練習をするにしてもほぼ単チェアだったので、まともなディスカッションの経験がありませんでした。2つめは、初めてBP大会にジャッジとして参加したこと。今までなんとなく、ジャッジに対して苦手意識があったので、この大会で色んなディベートを見ることができてよかったです。